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かっこいいも悪いも、なにも

空き地になにかが建とうとしている。しばらくほったらかしになっていた駅前のビル跡地が白い覆いで囲われ、そこに工事車両が出入りするのを見かけるようになった。

工事現場のそばには細い道が一本。道幅が狭いわりに交通量が多い。むちゃな運転の自転車がさあーっと通り抜けることもあって、見ているだけでひやひやする。

わたしがその細い道を歩いていたら、工事現場から出てきたと思われる大型トラックがこちら方向に入ってきた。土砂とか瓦礫なんかを運ぶタイプの、ものすごく大きなやつだ。

何度も言うが細い道なので、大型車が通ろうとすれば、歩行者も端に寄らなければならない。わたしは背後のフェンスに張りつくようにして道を譲った。

「すいませんー、ありがとうございまーす!」

頭上から降ってきたのは、予想外の細い声だった。大型トラックの運転席ってあんなに高いところにあるのかと驚いた。そして、運転手さんが女性だったことにもっと驚いた。

明るい色のボブヘアにちょっとポップさを感じさせるサングラスがよく似合う人だ。フェンス沿いぎりぎりに立つわたしにもう一度「すいませんー」と言って、彼女とトラックは去っていった。

大型トラックでこんな細い道をうまく通り抜ける、軽やかな声の女性。「かっこいいな」と思った。

わたしは「かっこいい」とは無縁の道を歩いてきた。威厳のある容姿ではまったくないし、自分でも悲しくなるほど押しが弱い。

どちらかというと、頼りなく見えるがゆえになんとか生き延びてきたほうだ。わたしが望んだのではないにもかかわらず、年配の男性が労ってくれたり、配慮してくださったりする機会も多かった。

「自分、おっさんに好かれるもんな。楽でええな」

同年代の異性にそう言われ、どうしようもなく情けなかったのを覚えている。気づかってくれる人々に心から感謝したいと思う一方で、気づかわせてしまう自分が嫌いだった。わたしってかっこ悪い。ずっとそう思ってきた。

でも、ふと思った。

大型トラックを運転する女性がかっこいいと決めつけるのは、小柄で従順な(少なくともそう見える)女は弱いという思い込みと似ているんじゃないだろうか。

わたしを苦しめてきたのはかっこいいかかっこ悪いかではなく、自分を類型にあてはめようとする自分自身だったのかもしれないと思えてきた。「わたしは弱い」「わたしはかっこ悪い」「わたしは頼りないからみんなに迷惑をかけている」、そういう思いが元凶だったんじゃないかと思い当たった。

もしかしたら、かっこいいも悪いもないのかもしれない、と思う。生きていくわたしたちがいるだけで。

今日はとてもお天気がよかった。駅前ビル跡地の工事は進んでいるように見えた。またあの女性が運転する大型トラックが通りかからないかなと期待したけれど、もちろんそんなことは起こらなかった。

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