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地味な作風に惹かれる

 この記事を書くのにかなりの時間がかかってしまった……。夏風邪、というかエアコン風邪をひいていたのでいまいち集中力が戻らなかったのです。すみません。

  今回の記事はかなり気合いを入れるつもりだったのだが、だんだんと自信がなくなって書き直しては……、という感じだった。それくらい自分は「地味な面白さ」が好きだ。
 小説に関してはあまりにも地味道を追求しようとしすぎたのを友人が見かねて、「これからは地味なりに筋のある話を1本、地味を追求する話を1本にしたらどうか」と言ってくれた。これを自分は今でも守っているが、やはり好きなのは地味な作品が多い。
 誤解しないでほしいのだが、自分はバキシリーズのような起伏のある、むしろ起伏しかない作品も愛している。少年漫画は基本的に起伏があるものが多いだろう。それでもその中で「サンデーの流派」というか、あだち充やゆうきまさみのような「起伏が乏しいのに惹かれる、オフビートの漫画」というのがあったはずだ。そしてそれらをさかのぼると、つげ義春のような作品を描く人も発見できる。
 さらに日本文学にも「地味の追求」と言える作品はあったし、どちらかというと今も昔も「起伏はないけれど雰囲気は良い」という流派の作家は多くいた。自分が子供の頃に流行っていて原点のひとつであるよしもとばななも、地味ではないけれど起伏のあまりない作品を書いていた。
 起伏を設けずに小説を書くということをことさらに称賛しようとか持ち上げるのも違う気はするけれど、それにしてもこの「地味の面白さ」には抗しがたい魅力がある……、少なくとも自分はそうだ。
 例えば志賀直哉の短編には「わざわざ小説にして書くことか」というものがあるが、これがまたなんともいい。特に物語の進行に関わることのない描写というのは味わい深い。自分の友人は「志賀直哉にはコンプレックスとか、文学に携わってこういうことをしてやろうみたいなのが感じられない」と言っていた。志賀直哉にコンプレックスがないかどうかはわからないが、確かに「文学を通じてこんな自己実現を!」というのは感じられない。その精神がどんなものだったのかは想像できないが、これはもう生理的なものなのだろう、「起伏がない」というのは自分にとっては1番「これこれ、これが刺さるんだよなあ……」という、う~ん、もう少し具体例を挙げられれば良かったのだけれど、それは自分の作品を発表していく立場として、先に「これはここが工夫ポイントなんですよ」と言ってしまうようで憚られる。

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