見出し画像

90年代に青春をすごした人間が思うこと

 先日、『極悪女王』を観るために以前退会したNetflixに再入会した。『極悪女王』の話題は連日ネットニュースになっているが、自分はまだ1話しか観ていない。執筆、読書、ギターという毎日必ずやることのノルマに追われてしまって(実際には追われていたというよりこれらが楽しかった)、映像作品は後回しになってしまったのだ。さらにそこへ自分が15歳前後で観た映画を改めて鑑賞するなんてことにもハマってしまい、『極悪女王』を観るタイミングを失っている。まあ恐らくは明日観ると思うが、自分には「必ず楽しいとわかっていることはなぜか後回しにしてしまう」という好きな食べ物をとっておくみたいな感覚があるのでどうなることやら……。   
 ところで『極悪女王』の第1話を観て思ったのが、昭和の風景が懐かしいということだ。自分は1983年生まれなので厳密にはあの作品の第1話の風景を見てはいないが、その数年後の街並みは覚えている。なんとも懐かしいことだ。そもそも、プロレスが国民的人気というのも懐かしい。プロレスは興行としては現在のほうが盛り上がっているのだが、一般的な人も知っているという点では昭和のほうが認知度が高かった。平成初期くらいまではプロレスの中継というものが夕方に放送されていたのだ。

 ただ、自分自身が最も懐かしいと思うのは90年代だ。最近は南Q太や魚喃キリコのマンガを読んでいて、あの90年代中盤から00年代初頭の雰囲気がたまらなく琴線に触れるのを実感している。
 90年代後半は日本のバブルがはじけたあとで不景気がはじまっていたのだが、カルチャーに関してはまだ元気があった。原作や俳優の人気に頼り切りでない邦画があったし、お笑いもバンドも今と比べたらまったく洗練されていないけれど雰囲気のある人たちがいた。まあそれは単に自分がリアルタイム世代だから思うことでもあるんだろうが……。
 他にも、コンビニエンスストアが異常に発展した頃でもあった。まずなによりコンビニエンスストアのおにぎりの種類が格段に増え、弁当も美味しくなったのだ。ペットボトルの飲料水も数多くのものが発売された。そしてそれらはコンビニエンスストアの象徴にもなった。

 思うに、あの頃が懐かしいのは単に自分が若かったからだけじゃないだろう。なんというか当時は世界が狭い分、夢見る世界が広かった気がする。インターネットはまだまだ一部の人しか使っていなかったし、WikipediaもYouTubeもなかったために未知のままでいるものが多かった。それがまだ見ぬ世界への憧れになったし、個人が無力感を抱いて勉強をする土壌にもなったのではないかと思う。それに、いわゆるデジタルタトゥーなんてものがなかったためにすべてがアーカイブになっていなかったのも大きい。自分はあまり時代論や世代論は好きではないが、それでも当時の世界の広さや乱雑さは懐かしい。それとも、今の世代もまたこの時代に同じことを感じているのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?