娯楽の受け手として付き合いが良いほうかどうか
娯楽の受け手として、「付き合いの良い人」と「付き合いの悪い人」というのは確実のいる。僕のギターの師は「全作品を持ってる!というミュージシャンは1人もいない」と言っていた。僕はそれを「凄いなあ」と思ったのをよく覚えている。確かに僕もそれほどCDコレクターではなかったけれど、「なんとなく追いかけてる内に全作品揃えたな」というバンドはいくつかあった。「そのミュージシャン、バンドが好き」というのは大前提として、「出している音源が少ない」「手に入りやすい」という2つの条件もインターネットが発達していない頃は大事な要素だったのだ。
また、もう1つの問題、「リアルタイムで作品を追っている内に失望させられたかどうか」というのもある。基本的に、僕は多少の失望はしても追いかけるほうだ。特に僕の世代だとMetallicaが5、6年に1枚くらいしかアルバムを出さなかったので、「Metallicaの新作、どう思う?」という質問でその人の「忠誠心」がわかると思ったりもしていた(メタルファン限定の話だけど)。
今でも、「1940年代から1990年代までのアメリカのブルーズ」「1980年代後半のイギリスのハードコアパンク」「1990年代のアメリカのアンダーグラウンド」はちょっとずつ集めている。やっぱり付き合いが良い。
一方で、僕は小説家に関してはかなり腰が重いほうだと思う。例えばよく耳にする代表作みたいなものが面白かったとして、「他の作品も面白いはずだ!」とすぐ行動に移す方ではなかった。そういう作家は本当に少ない。「この人の作品をもっと読んでみたい」というハラハラするほどの好奇心に駆られた作家は、川端康成と姫野カオルコだけだと思う。本に関しては、「満遍なく幅広く読もう」という思いと引き換えに、「この分野ならあいつに訊いてみよう」というものがほとんどない。「新作もたまに読むし、古典も読むけど、ラノベも嫌いじゃない」という感じ。武器があるとすれば、「それはエンタメだから読む必要がない」とか、そういうことをあまり言わないところかもしれないけれど、まあそんなことを人と競っても仕方がない。
書いていてふと思い出したのが、20歳の頃にバンドのドラマーに言われた、「君が好きなら興味を持ってみるよ」という言葉だ。それはとても嬉しかった。「この人のこういう精神を見習おう」と決意して日記に書いたくらいだ。もしかしたら、母親の影響もあるかもしれない。母親は子供が好きなものに興味を示してくれていたので、その姿勢を学んだというのもあるだろう。遺伝的にそういう資質なのかもしれない。「それは出版社に勤める上ではかなり良い才能だよ」と言われたこともあるが、やろうと思っても全然できない人のほうが多いらしい。
なので、僕は「昔、付き合っていた女の子がこの作家を好きだったから」とか「アニメのタイアップだったから好きな曲」とか、そういうのは理由として最高だなと思っている。