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母が癌になった⑤(余命1ヶ月)
notoで母が癌になった闘病記を書いていた。
あれから母が住む地方へ何度も何度も足を運び母のそばにいて闘病記を書く余裕さえ無くしていた。
そして3ヶ月以上が過ぎ、遡って思いのままに書いていこうと思う。
現在の私は都市部にある自宅に戻っている。
それは、「母の死」を意味する。
母は余命宣告を受けたあと7月末に病院を退院し、自宅での生活が始めた。母の世話は私と姉が交代でする生活が始まった。
その時点では母の介護申請は「支援1」だったので訪問介護が週1回、ヘルパーさんも週一回のペースで私達を支えて頂いた。
退院後、家で初めてトイレに行った母はトイレの流し方を忘れていた。
「これ、どうしたら流れるの?どうしたらいい?」と私に聞いた。
私は「ここにレバーがあるよね。これを触ってみて。そうしたら流れるよ」を答えた。1か月の入院生活で足腰が弱くなり人との接触も少なかった病院生活後は入院前に当たり前に出来ていた事が出来なくなっていた。
私は母を退院させた時点で母にすべて寄り添うと覚悟を決めていたからそんな事も冷静に対処できた。(以前のわたしだったら到底できなかったと思う)
母は水を飲むのもゆっくり少しずつ、食事も少料ずつだったけれど自宅に帰れた直後は安心した様子だった。
母の部屋とリビングが離れていたからアマゾンで「自宅用ナースコール」という商品を購入し、ベット脇とトイレに設置し、音が聞こえる方はリビングとダイニングに設置した。そうすれば、家の中にいても直ぐに駆け付けれるし、母も私も安心する事が出来た。
母の体重は60キロから30キロ代になり身体を拭いてあげる時にひどく小さく皮だけの母の皮膚を見たときとてもつらかった。
母は私の小さい時からいつもふっくらしていて本人は痩せたいと常に言っていたけど、あの母はもういなかった。
小さくなった母。
食事もままならぬなった母。
なんだかどんどん透明に透けていくような雰囲気を持っていた。
それでも退院3日目に私の娘が赤ちゃんを連れて母に会いに来てくれ、ずっと会いたかったひい孫に会う事が出来て母はとても喜んでいた。
赤ちゃんを抱っこする力もないのに抱っこしたいと手を出して支えてあげながら柔らかく可愛い赤ちゃんを腕の中に抱いた。
おばあちゃん子だった私の娘が関東から母の余命1ヶ月に間に合うようにと強行で連れて来てくれた。私が見た母の笑顔はそれが最後だったかもしれない。娘にも感謝している。本当にありがとう。
その時の写真や動画はまだ見返すことは出来ないけど・・・。
そんな風に最後の一か月が過ぎていく・・・・・。
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