学習塾ブランチをはじめたわけ①暗黒の中学時代
こんにちは。
学習塾ブランチの西原です。
週1回投稿してみようと始めましたが、6週目にして何か書こうかな??となっており、暗雲立ち込めております。。。
自分の頭の中を整理するためにも学習塾ブランチを始めて、これからも継続していこうと奮闘している理由をつらつらと書いていこうかなと思います。
暗黒の中学生時代
1.空気が読めず、人見知りになる
小学校ぐらいまでは結構明るい性格だったと思う。
友達もいっぱいいた。
ただ、中学に入ったころから人見知りがはげしくなっていく。
特に先輩との付き合い方が分からない。
小学生のころは特になかった、先輩後輩という関係が中学になると急に出てくる。
サッカー部に入っていたので、その雰囲気は強かった
たった1年早く生まれただけで、なんでこんな言われないといけないのか分からなかった
特に真面目に練習していない先輩から言われるのが嫌いだった
先輩が引退してからの1年間は伸び伸びやってたように思う
クラスの中でも友達付き合いが分からなくなった
思春期の中学生
何かとグループで動くようなことがあって、それになじめなかった
図書館で本を読みたい気分なのに、なんで外でサッカーしに行かなきゃならんのかと。
そんな行動ばかり取っていると当たり前だけど輪から外れる
何が正解か分からなくなり、我を出さないようになっていき、人見知りになっていった
親友と呼べる相手は1人、2人。
そのうちの1人は途中で転校していってしまい、それからさらに人見知りがひどくなった。
2.遺書を書いてみた中3のころ
それでも部活は好きだったので、部活をしに学校へ行くような日々
その部活も3年の夏に引退
唯一の楽しみも無くなった
同級生のみんなは塾に行っているので、遊ぶ相手はいない。
そのころ、なぜだか分からないが、うちは貧乏だから塾になんて行っちゃダメだと思っていた
実際はそんなこと無かったらしいが、なぜだかそう思い込んでいて言い出せなかった
学校終わると、部活もなく、遊ぶ相手もおらず、家で一人受験勉強を過ごす日々
次の日学校に行くと、みんなは塾での話の続きをしているので、会話に入れない
だんだんと何んのためにここにいるんだろうという悶々として気持ちになっていく
あるとき、何かの糸がぷっつんと切れて、
もう疲れたな、もういっかなと、本気で死ぬことを考える時期があった
あんまり覚えていないけれど、カッターを手に当ててみるところまではやったような気がする
そして、親に向けて遺書を書いてみた
書いている最中は涙が出る。
よく分からない感謝の言葉を並べてみる
自分が死んだあと、どうなるのかなと妄想してみた
親は悲しむのかな、弟は泣いてくれるのかな
同級生は何というのかな
でも1週間もすると、自分の席が無くなるだけで、他は何も変わらないんだろうな
そんなことをぐるぐる考えていると
死のうが死ぬまいが、みんなの生活は何も変わらないんだなと思うと
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた
書いた遺書はビリビリに破り捨てた
なんだかすっきりした気持ちになれた
3.ヤンキー達は良いやつらだった
そっからはいろいろと我慢するのをやめた
結果、ヤンキーとケンカすることになる
今思うと別にヤンキーとは言えない田舎のやんちゃなやつら
学校に遅刻してやってきて、授業中にを赤いパーカー着て、チャリで疾走する面白い奴らだ
当時はそれをヤンキーだと思っていたので、、、ごめんさない。
理科の授業の前
とあるヤンキー君が僕の筆箱を投げた
ただ、手元にあったのが僕の筆箱だったというだけ
その時は何かにイライラしていたこともあり、僕もキレた
筆箱を拾ってそいつに投げつけた
そっからは取っ組み合いのケンカ
そういうことをするやつとは思われていなかったので、
それ以降、ヤンキー達から絡まれることが増えた(良い意味で)
ヤンキー達も塾に行っていないので、いつの間にか遊び相手はヤンキー達になっていった
その中の一人がドラムをやっていて、お互い洋楽好きということもあり、
毎日のようにカセットにお勧めの曲を入れては聞かせてくれた
とてもいい奴らで、彼らには本当に救われた
4.先生をぎゃふんと言わせるための受験勉強
とはいえ、受験勉強はちゃんとしていた
少し遡って、夏の三者面談
志望校はC高校だと伝えると、先生のみけんにしわがよった
今の君の実力では、C高校どころか、G高校もI高校も厳しいと
僕と母は耳を疑った
福岡はフクトという模試があっており、塾は行っていないが模試は定期的に受けさせられていた
そこではC高校の判定はB以上だった
それを伝えても先生は4月の模試の結果がこれだからと
学校であった模試の結果を渡された
確かに悪い。
でもその時だけだし。
定期試験もちゃんとやっていたので、なんだかんだで上位にはいたと思う
考えを変えない先生にだんだんと腹が立ってきて
どうにかして先生に「参りました!」と言わせたいと思うようになった
高校受験はひたすらそれを目的にしていたように思う
夏休み、やらずにため込んでいた進研ゼミの存在が母親にばれる
部屋に缶詰めにされて全部やらされた
ほとんどやっていなかったので、2年半分の進研ゼミ
20冊近くの問題集を泣きながらやった
おかげで夏休み明け、偏差値が10近くあがる
C高校は余裕でA判定
そこから先は難しい問題を解くのが楽しくなり、勉強には苦も無くとりくめた
冬の三者面談
さらに成績は伸びており
もう一つ上のJ高校も合格圏内にあるがどうするか?と先生に聞かれ
被せ気味にC高校でと即答した
勝ち誇ったような顔で
面倒臭い生徒だなとつくづく思う
空気読めないんで仕方ない
そんなこんなで、志望校には無事に合格
暗黒の中学時代は終わり
何か変わるかもという期待を持って高校へ進学した