学習塾ブランチをはじめたわけ⑤就活
学習塾ブランチの西原です。
やっと、学生生活の内容が書き終わりそうです。。。
1.社会と教育の接点を仕事にしたい
色々な経験をさせて頂いて、人の行動や学習というものに興味を持つようになっていった大学3年の後半。
就活も次第に本格的になっていった。
当時は経営コンサルや教育系、人材系の企業を中心に見ていた。
特に規模がまだ大きくない組織に入りたいと思っていた。
当時はリーマンショック前で、景気も良く有効求人倍率は2.14倍だった。
それもあって、人材系の新しい企業がたくさん生まれていた。
(今はほとんど残っていない)
バイト先の倒産という経験もあって、純粋に子どもの教育をしたいとよりは「キャリア教育」や「人材育成」という方に意識は向いていた。
特に興味があったのは新卒求人の分野だった。
「教育」と「社会」の接点に関わる仕事だったからだ。
社会のニーズも踏まえたうえで、教育とはどうあるべきかを考えた方が良いと様々な活動を通して思うようになっていた。
社会人の方々と様々な活動をご一緒していると、学校で言われてきた事とは逆の事を教えて頂く事もしばしばあったからだ。
学生はもっと早くに社会との接点を持った方が良いと強く思っていた。
そんなことを考えながら就活に学生団体の活動に勤しんでいた時、
就活友達からの紹介で、企業経営者の集まりの忘年会に参加する事となった。そこで隣と前に座っていた大人によって、新たな世界に飛び込むこととなる。
2.いつかと言わず、今やばいいじゃん
忘年会の席で隣に座った女性
同じ大学出身の先輩だった。
それもあって、よく話を聞いてくれた。
今思うと右も左も分からない大学3年生の話なんて、先輩方からすると何も価値が無いものにも関わらず、向き合って頂いた。
一通り、今やっている事や今感じている事を話した後に、一言
「今やってみればいいじゃん」とだけ言われた。
えっ、、、
と狼狽えていると
「はい」と2つの電話番号が書かれたメモを渡された。
「力になってくれそうな人がいるから、連絡取ってみて」と。
今までそんな経験はないので、この電話番号はどうしたらととても困った。
次の日、携帯を片手に1時間ほど電話を掛けられずに部屋でおろおろしていた。
でも、断らないって決めたしなーと自分に言い聞かせ電話をかけた。
お二人ともとりあえず会って話そうか!と快く受け入れて頂いた。
そこでお会いした方々とは学生と経営者の交流会を何度か開催させてもらった。
もう一人。
向かい側に座っていた若い経営者。
ホープキャピタル(現ホープ)の時津社長だった。
半年後、電話を頂き、半年間程働かせて頂く事になる。その話は次回に。
3.フリーペーパーの営業をする
年明けて、就活が本格化してきた時、
僕はフリーペーパーの営業をしていた。
なんでそこにジョインする事になったのかうろ覚えだけれども
カラダナビという美容健康に特化したフリーペーパーをつくるという、整骨院経営者が旗を振っていた。
そこに集まったのが、代表の学生と僕の2名だった。
そこから博多地区と天神地区に分かれて、飛び込み営業の日々が始まった。
企画書1枚しかない状態で、飛び込みをしていった。
右も左も分からない状態で始めたもんだから、かなり怒られたように思う。
たまに、お茶を出してくれるオーナーがいて、それがとても嬉しかった。
企業説明会や面接の合間に営業をするという不思議な生活。
面接官に営業のノウハウを教えてもらうこともあった。
そんなこんなで、創刊号の表紙やレイアウトもあがってき、なんとか1社契約取りたいと奮闘している矢先
旗振りの整骨院オーナーが音信不通に。
体調崩しているという話は薄っすら聞いていたが、学生代表も僕も全く連絡が取れなくなってしまった。
そして、結局、カラダナビは発刊されなかった。
オーナーとも連絡は取れず、代表と話し合って、解散となった。
半年後ぐらいにmixiのログイン履歴があったため、オーナーの生存は確認できたが、結局何が起こったのか分からないままだった。
当時はこれが夜逃げってやつかー、本当にあるんだなーとか思っていた。
そんなこんなで就活も終わりに近づき、2社から内定をもらったところで就活をやめた。
大学も週1ゼミに行くだけ、時間もかなり空いたので、コールセンターでアルバイトしてみようかなーとか考えていたところに、時津社長から電話がかかってきた。
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