学習塾ブランチをはじめたわけ⑥ベンチャーで働く
こんにちは。
学習塾ブランチの西原です。
やっと大学4年まできました。もうすぐ社会人。
1.インターンシップを教えてくれ
大学4年の6月頃だったか、大学の帰りに電車を待っていると電話がかかってきた。
時津社長からだった。
電話に出ると、何やら今年の夏にインターンシップを受け入れるらしい。
受け入れることにはなったんだが、何をさせたら良いか分からないから教えてくれとの電話だった。
当時名刺交換したときの僕の名刺がインターンシップ推進協議会学生スタッフという肩書だったからだ。
とりあえず、お話を聞きにオフィスに向かった。
はじめてibbビルに入った日。
それから10年後、こんなにお世話になるとはその時は思いもしなかった。
2.うちでインターンしろ
会議室で1時間ほど、色々とお話をし、学生視点でこういう経験ができると有り難いという事を伝えていたと思う。
最終的に、「とりあえずお前やってみて」だった。
興味はある。また去年のインターンのような刺激的な日々が過ごせるのではないかと心躍った。
しかし、興味はあるが、バイトしないとお金が無かった。
仕方なく、社長にお金が無いのでバイトしないといけないという事を伝えた。
すると、2週間インターンして、使えそうだったらバイト代払うよと提案された。
願ったり叶ったりだった。
やります!と即答し、翌週ぐらいからお邪魔する事となった。
初日オフィスに向かうと、社長ともう一人の2人だった。
すまん、名刺忘れててキンコーズで刷ったやつと言われながら
最初にもらった名刺には「インターネット事業部」と書かれていた。
社長、インターネット全然分からんですよ、、、と伝えると
かっこいいやろとだけ返ってきた。
初日から早速電話営業が始まった。
当時は自治体のHPのバナーを売っていた。
筑後市のバナーを担当し、筑後の企業に電話をかけまくった。
時には、筑後市外の事業者が何をやっとるんだ!とよく分からない理由で、1時間ほど電話で怒られることもあった。
最初の2件は地元のホテルが買ってくれた。
電話してFAXで資料送ったら、次出社したときに申込書が来ていたが、
申込書がきた瞬間には立ち会っておらず、今一つ実感が湧かなかった。
あっという間に2週間はすぎ、そのままバイトさせてもらうことになった。
今でいう有給インターンです。
3.初契約
自分で取ったと思えた契約は介護施設さんだった。
何度も電話でやり取りをし、価格交渉をしていた。
夕方飲食店でバイトをしている時の休憩時間に、会社から電話がかかってきた。施設の広報担当者から電話が来ているからすぐに折り返して欲しいという内容だった。
休憩室から電話すると、正式に申し込むとのお電話だった。
インターンを始めてから2ヶ月後ぐらいだったように思う。
その時のことは今でも覚えている。
契約取った!!と思えた瞬間だった。
その後も社長のフォローもあり、枠はほとんど売り切ることができた。
4.時給か経験か
その間にインターン生が4人やってきた。
ある時、休憩中にインターン生とコンビニに向かう中で、時給の話になった。最初は800円スタートで、僕からすると、こんな経験ができて時給800円ももらえて(当時の最低賃金は640円ぐらい)と喜んでいたが
後輩のインターン生にとっては、どうも違ったらしく
電話営業という精神的にもくる仕事で時給800円は割に合わない。下のコンビニでバイトした方が時給良いですよ!と言っていた。
その感覚がよく分からなかった。
今でもよく分からない。
コンビニのバイトは時間の消費だと思っていた。使った分はお金になるので、時間の無駄遣いとは思わないけれども、それ以上のものを得ることも少ない。それにやりたくなったらたぶんいつでもできる。定年してらかでも遅くはない。
一方で社員2名のベンチャー企業で働く経験は、たぶん今しかできない。
ここでの経験は後々自分に返ってくる投資だと思っていた。それに給料まで頂ける。絶対に損しない投資だと思っていた。
こんなにも楽しいのに皆不思議な事を言うなーとその時は思っていた。
インターン生がいなくなってからも、バイトを続けた。
週1大学にいって、週3は会社に行くという生活が半年続いた。
ハロワに行ったり、大学に求人送ったり、全国の自治体に電話かけたりと色々やらせてもらった。
「上場」とはどういうことか、その当時は全く分かっていなかったが
当時のホワイトボードには7年後にマザーズ上場と書いてあったのを今でも覚えている。
うちにこないか?と本気か冗談か分からないけれど声をかけても頂き、うれしかったけれども、やっぱり「教育」に関わる仕事がしたいと思い、5月に内定をもらった会社に入社する事になる。
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