話し合い
昔から、話し合いこそが大切だと思っていました。
たとえ何かしらのゴールにまで至らなくても、話し合う過程で相手の考え方や気持ちを理解することができるし、こちらの考え方や気持ちを伝えることもできる。
だから、話し合いは大切だし、できる限り行うべきことだ。
そう思っていました。
そして、その考えは、基本的には間違っていないのではないかと思っています。
他方で、これも万能ではない一つの考え方でしかなく、相手に強く求めることは、価値観の押し付けだとも思います。
相手には、言いたくないこともあるし、話したくないこともあるわけで、話し合いの要求は、時に、無用の干渉でしかないこともある。
場合によっては、口を出すべきでない領域にまで、口を出そうとすることにもなりかねない。
そもそも、本当は話し合いがしたいのではなく、自分の考えや気持ちを理解してもらいたいだけなのかもしれない。
そして、話し合いという手段は、一見とても平和的で公平な手段だからこそ、相手にとって断りづらく、必要以上の圧力ともなりかねません。
過干渉となっていないか。
自分の考えや気持ちを伝えたいだけではないか。
誰にとって必要なことなのか。
今、必要なことなのか。
自分の手前勝手な欲求を、「話し合い」という一見綺麗な手段で相手に強制することのないよう、一度立ち止まってみることも大切だと思います。
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