cokoly
海が見える風景は、小さい頃の僕にとって当たり前のものだった。 僕が住んでいたところは当時新しく開発された新興の住宅地で、その第一陣の入居者のうちのひとつが我が家であった。 当時まだ4歳かそれくらいで、記憶はおぼろげながらもまだすべての土地に家が建っていなかったのは、何となく思い出せる。そこに木造平家のシンプルな家ができた。庭もある。 住宅地全体が山を切り開いて作った台地になっていて、新しい家はすべて高台の家ということになる。うちはその中でも海側の方に位置していて、約8キロ
最近『ブループリント』という本を読んだのだが、その一説に次のようなことが書いてあった。 文化の維持と進化は社会的ネットワークにおける個人間の繋がりの数と構造、および情報がどれだけ容易に、かつ自由にやりとりされるかによって決まる。したがって文化の伝達は、その集団がどれだけ協力的でどれだけ友情にあふれているかにかかっていることになる。 『ブループリント』は社会科学や組織論、生物の遺伝や進化の研究を背景とした観点から人間の進化の過程や可能性を論じた内容といえる。 僕は
「仕事だから」に偏りすぎてまた妙な方向に話が流れていったけれど、職場で自分を出すのをタブー視するのは、それぞれが個性全開だとコントロールが効かないからだ。各々が勝手に動くと期待した成果が出せないということで管理者側はそれを嫌がって手っ取り早く軍隊を作ろうとする。 この流れをずっと見続けた結果、これは単に教育の問題だと気づいた。 「好き勝手やっちゃダメだよ。成果と報酬のバランス考えようね」 という事をちゃんと教えればいい。 命令が速やかに実行される組織づくりは、戦場で生
僕に才能があるとすれば、それは「常に考えを変えられる」ことだと思う。都合のいい話をするためにあえて最初に言っておく。世間一般で言われている常識とか慣習にそれなりに影響は受けるものの、疑問に思うことがあれば否定したり拒否したり無視したりもする。逆らうこともある。とはいえ問題を起こしたいわけでも騒動が好きなわけでもない。ゆえに合わないと思った仕事はすぐに辞めていた。今では通常の履歴書の書式では職歴を書き切れないほどになった。でも別にそれでいいと思っている。 僕の実家は両親とも
いま手元でまとめようとしている文章があるのだがアホみたいに亀の歩みでなかなか進まない。原因は勢いで書いた大元の文章があっちこっち脱線しまくっているからだ。そこでまとめているものとは別にまとめない状態でnoteに書いてみることにした。もう支離滅裂でいいから打っちまえ、という開き直りである。 あることをきっかけに東京での仕事の記録みたいな物を書いてみようと思ったら、意外なことにキーボードを打つ手が止まらなくなり、とりあえず五日で三万時程度になった。しかも内容が「リーダーとは
雲が綺麗だ パステル画を始めてから、空を見上げて雲を眺めるのが日課になってしまった。とてもイイ日課である。 ここのところ綺麗な晴れ空になかなか会えなくて、そのぶん空にはいつも雲がある。雲の表情はさまざまで、毎日見ていても飽きがこない。一つとして同じ雲はない。 夏は積乱雲のイメージが強いが、もちろん積乱雲だけが浮かんでいるわけではない。いろんな雲が混ざり合って空に広がっている。 雲には名前がある。 素人には見分けがつかない違いで名前が違っていたりする。 「雲の名前」 と
仕事を再開してあっという間に二週間が過ぎた。 9月ももう半ばとなり、夏の終わりを感じさせる空気が漂い始めている。 夜の涼しげな風のおかげで空調なしに過ごせる夜。 一日中、服を体に張り付かせる絶え間ない汗。 そういったものが少しずつ日常から離れていく。 この季節に、僕はいつも寂しさを感じる。 やはり僕にとっては夏がいちばんの季節で、その価値は変わることがないみたいだ。 今年の夏はコロナの影響もあり、いつもと違った夏になった。 子供たちは夏休みをどう過ごしたのだろう。 お出かけ
中学生、いや高校生のころだっただろうか。 なぜ僕は生きているのだろう? ということを考え始めた。 普遍的命題ではあるし、同じような考えを巡らした人は 少なくないはずだが、小さい頃からいじめられっこだった僕にとって、 そのタイミングは比較的早く訪れた。 そして幼いながらも哲学的思考にとらわれていく。 どうして僕は生まれてきてしまったのか? なぜ生きていかなければいけないのだろう? もちろん、答えなんか出てこない。 悶々と思い悩む青春時代だ。 怪我でサッカー部をやめてからは、
約半年ぶりに仕事を得て、なかば慣れてきた無職の日常が変化した。 お気楽な日々からの脱却であり、収入への安心感と裏腹に自由から遠ざかる虚しさもある。 社会人になってからずっと、仕事に対してポジティブになれたことがない。 課された役割はこなすしそれなりに成果も出したが、充足感を感じたことがない。何をやっても頭の上っ面だけで処理している気分だった。上っ面で処理できるのが仕事だった。その上っ面の流れを下から見上げている自分が常にいた。 俯瞰の視点で見下ろすのではなく、見上げていたの
3日に1枚くらいのペースでパステル画を描いている。 対象は主に風景なのだが、近場にいい風景がたりずにちょこちょこ探しに出る。ロケハンである。しかし足がないので自転車で行ける範囲か電車で遠出する。どっちにしろ凄まじい炎天下に長く晒される。 何の防御もなく太陽に照らされていると体力を著しく消耗する。体のなかの水分がどんどん蒸発していくのを感じる。途中で水やらお茶をのむが、まさに焼け石に水という感じですぐに乾きがやってくる。 しかし夏生まれの体質が幸いしたのか、こんな暑さでも気
コロナもやばいが暑さもやばい。 そして生活もやばい。 先日、雇用保険の手続きにハローワークに行ってきた。 窓口開いたばかりくらいの時間でしたが待合の席は埋まり、立って順番を待っている人が溢れている状態。これみんな失業者か。 連日、感染者が何人、重傷者が何人、とニュースが流れ続けている。 もはやお決まりの感があって聞く側の危機感も飽和状態で 「なんかもううるさい。熱中症の方が死んでるじゃん」 みたいになってきてるんじゃなかろうか。 テレビではニュースの視点があまりにも一面
最近、絵を描いている。 画材はパステルで主に風景画を対象にしているが、手持ちの写真では今一つ変化に欠けるので、ネット上のフリー素材などを模写したりしている。 しかし借りものはやはり借りもので、色を再現したりすることはできるのだが、何かもの足りない気がしてくる。 それで自転車を担ぎ出して風景を求めるためのサイクリングに出かけたのだが、連日の猛暑である。10キロを往復したあたりで徐々に苦しくなってきた。水分と塩分の補給は欠かせない。ときおり日陰で休んだりしても、まさに焼け石に水
蟹が泡を吹いていた。 僕はその泡を指先で掬った。 蟹は不思議と逃げなかった。 砂にほんの少し沈み込んだ爪先に少し力を加えて、僕は立ち上がった。 指先に付いた泡はすぐにぷつぷつと弾けて、薄い液体を僕の指先に残した。 蟹はまだそこに居た。 まるで僕を見上げているみたいだった。 僕は意識のなかの遠い過去の記憶の抽き出しから、小学校のプールの情景を取り出した。 プールサイドに蟹が居たのだ。 場にそぐわない小さな闖入者を見つけて、落ち着きのない何人かの生徒がやいや
社会人になってから、引き篭もった時期があった。貯金を少しずつ切り崩しながら生活の最低ラインギリギリで半年ほど過ごした。 職場の人間関係で疲弊して、一切の情報を断ちたくなっていた。 上からの命令、下からの突き上げ、側面からの横槍、もうウンザリだ、と。 そのあいだ、毎日あるいて図書館へ行き、ひたすら数学の本を読んでいた。 だから厳密にいうと完全なる引きこもりではない。ある意味で能動的な活動は続けていた。片道2時間かけて都立図書館まで歩いた時も何度かあった。都立は蔵書数が圧倒的に
最近、連日投稿される坂口恭平氏のパステル画に影響されて自分でも少し描くようになった。仕事がなくて暇なのである。 絵を学んだ経験は中学の図工の時間くらいしかないというまっさらなど素人ではあるが、社会に出てからすぐ、某ネズミ系テーマパーク海版の建設現場で壁の色塗りをやったことがあった。 テーマパークの建物の壁はちょっと特殊なものだった。単純に壁を塗ると言っても、まず土台から違った。左官屋さんはいつものように綺麗な平面をこしらえるのではなく「数年あるいは数十年が経過した壁」を表現
8月15日。 今日は終戦記念日だ。 日本では玉音放送があったこの日を終戦記念日としているが、 アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは日本が降伏文書にサインした9月2日を対日本の戦勝記念日としているようだ。 また、中国では翌9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」として戦争が終わった日としている。 ロシアについてはソ連時代は9月3日、ロシア連邦となった後、2010年から9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と法案で決め、欧州各国と足並みを揃える形をとった。