革命を正当化する理論とは何か
キリスト教は神の下では平等である。それは例え、国王だろうと法律を破ってはならない。
逆に言えば、法律を守らない国王は王殺しに合う正当性があるという話になる。
中国には儒教がある。易姓革命が革命を正当化する理論である。つまり、徳がない王は悪王であるから討つことを正当化される。ここで重要なのは、法を破るからではなく、あくまで徳がないのだ。
人民の人望を得ている人間が天子にとして治める。人望がなく、暴虐ならば降ろされて当然というのが革命を正当化する。
日本の場合は革命を正当化する理論が無いと言ってもいいだろう。ポイントは、権威を超える存在があることだ。キリストなら神、儒教なら天。
日本の天皇家は、天地創造したイザナギとイザナミの子孫。日本の天皇家が幕府ができて、武士が台頭しても残り続ける理由がここにあるのではないか。
つまり、革命をしたとして、どうしても正当化できないのである。王を追放することがどうしてもできないのである。
平将門(革命家)は藤原家(藤原忠平)に対して書状を送りつけたが、その内容と言えば「兵威を振ひて天下を取る者、みな史書に見る所なり」→武力をもって天下を治めることの何が悪い?という話だが、同時に桓武天皇の血を引くことを強調している。
皇統につらなるものというのが、自己正当化している。この歴史は私達の現代社会にも影響を与えていると思う。