チャウチャウちゃう?そう、茶碗。c/wとんかつという和食。
ちょっと平たい皿でたまごご飯を食ってみてほしい。
納豆ご飯でも構わないし、白飯だけでもいいんだけど、淋しいだろうから足しといた。
わざわざやってみなくても、レストランとかでフォークとナイフを使ってライスを食った事がある人は分かっているだろう。
とても食いにくい。
そして、レストランでナイフとフォークというあの感じは今や昭和を感じさせてしまっている。
つまり、最近そのパターンなかなか見かけないねって事。
あれは舶来という言葉が高級という意味で使われていた頃の過ちだ。
最初は「ふふん、こうやってやるんだよ?まあ見てな…ふふん!!ぐあ!!ぐぎぎぎぎ!!な、この通り!!」と、フォークの背に乗せたりするのがカッコつけるポーズになり得た。
うちの爺さんなんかはハナから「箸ちょーでぇ」と要求し、子供の頃のバカなおれは「あーあ、かっこよくないなー」などと思ってしまっていた。
で、今からそれを思い返すと、爺さんの完全勝利と言える。本人は戦ってる自覚がなく、ただ当たり前の事をやっただけなので勝負以前の話なわけだ。
では爺さんの思っていた当たり前とはどんなんか。
ご飯は茶碗で食うに決まっとろうが、アホじゃねんか。
お爺さんの言う通り、ご飯を食うのに箸と茶碗の組み合わせは当に最適である。
食べていくうちに減っていくご飯は、中央の細く深い部分に残っていき、まとまる。
細い棒である箸は、最初は横向きに近い角度にしてご飯を乗せるようにも使えるし、最後の細いところに至ってもその狭さが問題にならない。
しかも、茶碗は手に持って食うのが普通。
茶碗の角度の方からも、最適な箸と茶碗とご飯の位置関係を調整出来る。
そういえばこの「茶碗」という呼び方。
語源は当然、茶を飲むための椀だから茶碗という事だろう。
外人に説明が難しいやつ。
「えー、このご飯を食べる時の食器が茶碗」
「オーケー、それではこっちの円筒形のはナンデスカ?」
「それは湯呑み」
「湯呑みでは湯を飲みますか?」
「いやー、白湯も飲むけど、ああ、白湯ってただのお湯ね、hot water。でもまあ大体はお茶を飲むのに使うかな」
「ではコッチは?」
「それは茶碗」
「チャワン?さっきのは?」
「茶碗。えーと、ご飯用とお茶用の、それぞれ茶碗!」
「ご飯用はオチャ飲みませんか?」
「んー、ご飯茶碗に最後にお茶を入れて飲む人はいる。茶漬けは誰しもがやる。お茶用の茶碗にご飯をよそう人がいたらそれは変態」
「んーーー!?!??!ゴハンヂャワン!?んーー!?!?」
と、こうなった由来を想像してみる。
いや待てよ…今、当初の考えと違う説を思いついた。
まあ置いといて、、、
最初は多分変態だったのではないか?
つまり、お茶用茶碗にご飯をよそってみたところこれは食いやすいという事になって普及した。
その食器は既に茶碗という呼ばれ方が定着しきっていたから、名前はそのままで、しかし食器としてはよりご飯向きな形状、大きさにアジャストされていった、と、こういう。
その前は何によそってたんだ問題。
そう、ここを考えてさっきの迷いが生じた。
葉っぱ?いや、その頃は丁度水が無くなるように炊くとかしてない…ような気がする。
あれか、おひつか。
今調べてきたけど面白くなかったから却下。
ところでとんかつ。
この平仮名で書かれる事が多く、専門店の店名も店構えもやたら和風になっているとんかつ。
爺さんが「箸ちょーでぇ」と言っていたのもとんかつ屋。
そこは老舗洋食屋(とんかつハンバーグコロッケ)で、平皿フォークナイフ式だが、いつもさっと箸は出てきていた。ちなみに名前はかっぱ。
老舗洋食屋は平皿フォークナイフ式(所謂ヒザフォナ)(所謂らない)を守りたい。箸をくれと言われたら「あらあら、まあまあ」というリアクションが正常に見える世界にしておきたい。
分かる。
かっぱは洋食屋のたたずまいを残しつつ、手っ取り早いメニューにリソースを集中させるやり方にした。
しかしそこに洋食屋要素の中心たる「自家製デミグラスソース」は残した。
従って、誰かに言われるまでは箸ってなんですか?という雰囲気でやっといて、ハシチョーデェと言われたら直ちに出せるというあたりが妥当なバランスであろうし、実際にそうなっている。
ただしそこに、店主は決してにこやかにはせず、軽々しく話しかけてくんじゃねー風味の表情をプラスする事でなんらかの洋食的尊厳は守られている。
ちなみにこのあたりの客は、洋食屋ってどんなん?知らんわーという感じなのでこのへんの話は聞いてもピンと来ないだろう。
複雑な話になってしまった。
はい、そういうわけで、とんかつというのはごちそう感が出せるのに原価を抑えるのにも適していて、熟練の技なんてなくても基本的にどうやっても美味い。さらに回転も悪くないし、立地もあまり問わない。
チェーンとしてポークカツレツを扱おうとすると、洋食屋である事はメニューの多彩さを求められるので廃棄問題から真っ先に捨てる事になろう。
つまり、つつまりまり「いやー、うちのお客さんはポークカツレツセット頼む人が九割八分だね実際」と言っている洋食屋を結果的にではなく人工的に作るのが得策なのだ。
そこでデミグラスソースは時間と手間とをかけた結果好みが分かれるんだからまず淘汰される。フォークとナイフ?要らん、こっちで切って出せばええやろ、ハシチョーデェ属こそ我らの客じゃ!なにがポークカツレツじゃ!うちはトンカツじゃ!いや、とんかつじゃ!
なに?セット?
箸で茶碗でみそ汁で定食じゃ!
ほれ見てみい。
とんかつ御膳「華の郷」みたいな店が乱立するしかなくなるじゃないか。
あとは冷凍食品でうどん御膳とエビフライ御膳とカニクリームコロッケ御膳が出来るじゃないか!
お子様セット…んんんん…!お子様セットはセットで許す!!
お茶から豚カツへ、乗せられるものの変貌。
これも茶碗の実力とご飯というあらゆるおかずの受け皿としての実力を如実に表しているのだっ!だっ!だっ!っ!っ!(残響音含む)