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【まとめ】元千葉県民が大阪に3年住んでわかったこと

これまで、住み慣れた関東から大阪の地に移り住んだ私が、3年間暮らしてみて気づいたことを「食べ物編」「地理編」「言葉編」「人間編」に分けて綴ってきた。今回はまとめ編。


環境が変われば人格も変わる

関東にいたときの職場の人と、今一緒に仕事をすることがあれば、きっと「人格が変わった」と言われるのではないかと思っている。
振り返れば、こちらに来る前は、職場の中ではよく言えば真面目キャラ、悪く言えばとっつきにくい人だったと思う。あくまでも仕事中の人格の話。クールでいることがカッコいい、感情を表に出さない人が仕事ができる人のように感じていた。イジりやすいタイプではなかったし、イジられることもあまり好きではなかった。

反対に、こちらはなんというかオープンな感じがある。仕事でも普段の生活でも、自分の主張をしっかりするし、喜怒哀楽を豊かに表現する人が多い気がする。(もちろん地域性だけではなく、個人の特性も大いに関係しているとは思う)そのときの言葉が標準語(という表現は好きではないが)だとしたら、ストレートすぎる印象になることもあるが、関西弁で言われると、全然印象が違う。「違う」「だめ」と言われるのと、「ちゃうねん」「あかん」と言われるのでは受け手の気持ちは違うはずだ。こちらに来てすぐの頃は、自分の話す言葉が無機質で、相手に冷たい印象を与えているのではないかと感じてしまい、一時期はコンプレックス一歩手前くらいまでいった。

丁寧な言葉がいつでも正しいわけではない

ある日、会社の人に自分の話し方が冷たいのではないかとこぼしたときに、「俺は標準語、好きやけどな。ちゃんとした人って感じがする」と言われた。どこまで本心かはわからなかったけれど、無理して言葉や話し方を関西に寄せる必要もないのかなと思えた。それがきっかけとなったかはわからないが、それからあまり言葉のことは気にしないようにした。気にしたところで、関西弁が口から出てくるようになるわけでもないし。

その代わり、感じたことや思ったことをできるだけそのままの状態で発言するようになった。と言っても相手を不快にさせないことは大前提だが、嫌味っぽく聞こえたり、距離を感じられてしまうような話し方はやめた。例えば、これまでは年上の同僚と話しているときのリアクションの第一声で「すごいですね。」と言っていたところを、「え、すご!」と言ってみたり。そんなことかと思われそうだけれど、年上=全て敬語と思っていた私にとってはちょっとした冒険。敬語はもちろん人間関係を円滑にまわすために必要だし、TPOを弁えて使っているけれど、年上な人とのコミュニケーション=敬語だけ、というわけでもないように思えてきた。「ちゃうねん」「あかん」が許されるなら、「え、すご!」だっていいのではないか。

自分の中でそういう小さなトライアルを重ねて、今はほどよい距離感のコミュニケーションをとれるようになってきた。いつのまにか言葉の違いを気にすることは減ってきたし、「ファミマ」や「ユニバ」のイントネーションがおかしいと、イジられる場面もあったり。無理して言葉や話し方を関西風に装わなくても、普段着のまま相手のドアからちらっと覗いてみる。大丈夫そうならそのまま普段着で過ごさせてもらう。そんな風にして関東にいたときの自分と、関西に来てからの自分のギャップを少しずつ埋めてきた。

住めば都は嘘じゃなかった

正直なところ、引っ越してきた経緯も含めて、初めは大阪にはいつまで住むかわからない、居候のような感覚があった。(その名残で2つくらい引っ越しの段ボールが残っている)今も完全にその感覚がなくなったわけではないが、第二の地元と呼べるくらい馴染んできたと思う。いつものスーパー、お気に入りのパン屋さん、ひと息つきたいときのカフェ、お任せで切ってくれる美容院。それら一つひとつが今の私の生活を心地よく豊かに彩ってくれている。大阪は思っていたよりずっと懐が広くて、居候を地元民に昇格させてくれた。住めば都というのは本当だなあ。

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