我々はこの世界を現実と認識しています。 感じているけど本当に現実か この世界が本当に存在するのか じつは定かではないと思うんです。 夢の中で夢と認識してないのと同じく この世界も夢かもしれない。 荘子の「胡蝶の夢」や 映画の「マトリックス」みたいに。 ある日、目が覚めて じつは今までのぜんぶ夢でした!って 人生夢オチだったら嫌ですね。 いったんこの世界が現実だとして。 我々はそれぞれ、 それぞれの脳や身体をとおして 世界を感じています。 脳や身体は個々に違うものだから、
子どもの頃は友だちも呆れる 夢見る空想少女でした。 が、世間の荒波に揉まれるうち 気がつけば現実的な 合理主義者になっていました。 もう空は飛べない感じです。 そんな夢を無くした大人の抱く 死後の世界は無。 脳や肉体が機能しなくなったら それらがつくりだしていた 心は消えてなくなる。 魂や幽霊なんて、 壊れたPCのデータが抜け出て どこか別の場所で存在してると 考えるようなおかしな話。 自分自身の死を思う時、 現実ってキビしいなあと思いつつ この考えを受け入れていました。
死んだらどうなる? それはいつか死んだらわかるし 日々生きるのに忙しいし そんなこと考えるだけムダと 思っていました。 それが昨年末、 一緒に暮らすねこの片われ てんちゃんが急逝し 死について考えをめぐらすように なったのです。 あのコは今どこにいるんだろう? 考えて答えが出る問いでないことは わかっています。 でも、きっとこうだろうという 自分の中の落としどころがほしい。 そしてそこにたどり着くまでの過程を 記録しておきたいと考えました。 生きている以上、 死にゆくも