故きを温ねて新しきを知る ~吉田茂の著書に学ぶ政治~
Note記事執筆に至った経緯:10月27日の衆院選
先日2024年10月27日に行われた衆議院議員総選挙にて、「手取りを増やす」を公約に掲げた国民民主党が、議席を4倍に伸ばす快挙を遂げ、過半数割れした自民公明とは「是々非々」の方針を表明したことで、キャスティング・ボートを握ったとして大きく注目を集めている。
ワイドショーや新聞では彼らの手取り増の公約に対する財源問題や、一見ポピュリズムに走っているように映ってしまう姿勢が批判されている。
その一方で、「手取りを増やす」を公約に掲げる彼らのスタンスは日々の生活に苦しむ若者たちにとって期待の対象となっており、先日11/2(土)の「たまきチャンネル」における党首玉木氏によるYouTubeライブでは49万再生(執筆時点)、スーパーチャット総額141万円と驚異的な結果であった。
これは、コメンテーターの類推を伴うオールドメディア(新聞やテレビ)で批判的に切り取られていた対象が、ニューメディア(SNSやYouTube)の台頭によって本来的な魅力を届けることができるようになった事象をよく表しているように思える出来事である。
事実、ニューメディアによって、党の代表に対して気軽にリプライやコメントを送信することができ、国民と政治家との距離が近づいたのは、私は良いことだと思う。
また、望めば、政治家本人の考えに関する一次情報を容易に得られるようになったことも、国民にとっては安心だろう(もっとも、フェイクニュースや扇動的な記事の量も多いのだが)。
媒体変遷による面白さを見せた今回の衆院選であったが、今回に限らず今後も付きまとってくる問題として、若者の人数や投票率の低さに起因する「一票の重みの小ささ」があるのではないだろうか。
この問題の解決手段として、「自分が投票して終わり」で済ませること無く、以下の①―③を実行する必要があると考えた。
街頭演説やライブ配信から、正確な一次情報を取得する
自分ごととして各党の公約について考察する
「推し」の政党を作り、友人や親世代に「布教活動」を行い、投票を促進する
実際に、衆院選において私は同世代の友人に対して積極的に投票に行くように訴えかけたし、家族に対しては各党の公約などを連携をした上で、自身の推しであった国民民主党の魅力について、玉木代表とのツーショット写真を見せつつ存分に語った(以下写真)。
しかしながら、選挙は衆議院議員総選挙で終わりではない。
自身や同志の一票が、国会の場においてどのような使われ方をしているのかをしっかりとこの目で見定める必要がある。
「故きを温ねて新しきを知る」という言葉があるが、政治について歴史から学び良く知る必要があると考え、一冊の本を手にした。
『日本を決定した百年』 著 吉田茂
まず、吉田茂とは何をした人だろうか。
恥ずかしながら、学生時代の専門が物理学で修了後仕事でセキュリティを扱っている私は、吉田氏が戦後の総理大臣であることは知っていたものの、彼の功績の詳細に至るところまでは十分に知らなかったため、一通り調べてみた。ざっと以下の通りであるが、ご存知の方におかれましては読み飛ばされたい。
吉田茂(1878-1967)は、第二次世界大戦後、内閣総理大臣兼外務大臣を務め、戦後復興のために活躍をした、第92代内閣総理大臣麻生太郎氏の祖父にあたる人物である。
彼の大きな功績の一点目は、1951年に吉田内閣時に行われたサンフランシスコ講和条約の締結である。「日本の主権の確立」「朝鮮・台湾・澎湖諸島・樺太・千島列島の独立承認、領土放棄」「一部を除いての賠償権の放棄」を定めた当該条約を期に、我が国は主権を再び取り戻し、戦争終了の1945年から、戦後復興のスタート地点に立つことが出来た。
二点目は同年の日米安全保障条約の締結である。これは、今日まで続いている日米間の軍事的な協力の根幹を定義している。特に重要な条文が第五条と第六条である。
第五条では日本国の施設の下にある領域における武力攻撃に対する対処行動(米国が日本を防衛すること)を定義している。
第六条では、日本国の安全、極東における国際平和・安全維持を目的として、米国が日本において施設・区域を使用することの許可を定義している。
平たく言うと、「日本は米国に基地を提供する代わりに、米国から守ってもらいますよ」という内容であると私は解釈している。
その他、吉田氏の功績としては教育や食糧問題など様々であるが、つぶさに記載しているとキリがないため、ここまでとする。
今回紹介するのは、そんな吉田氏が執筆した本である。
前半が「日本を決定した百年」と題する論文で、明治時代(1868年)と執筆時(1967年)の凡そ100年間の日本の復興と西欧化の歴史について彼自身の言葉で解説がされている内容である。後半は「思出す侭」と、彼自身の思い出や国民・国政に対する思いを書き連ねた自叙伝である。
次項からは、本の中で私の印象に残った「教育への注力」「政治批評・政治的仁義」について紹介していく。
教育への注力
本によると、明治時代にも昭和時代の戦後にも、教育が重要テーマとして取り組まれてきたようだ。
まず、明治時代においては、地方地主の多額の寄付といった協力もありつつ、当時5割を切っていた就学率を明治末期までの間に95%に引き上げられた。また、高等教育についても、高給を支払っての外国人講師の誘致(例:ウィリアム・アダムスや、クラーク博士)が行われた。
また、第二次世界大戦後には、「食うものにさえ事欠いている」中での国民からの強い願望を受け、大きな予算を使っての六・三制(小学校六年、中学校三年の教育義務を負う制度)の強行導入が行われた。
なお、1948年当時の国会答弁では、吉田氏によって以下のように、六・三制の必要性が国会内に訴えかけられていた。
この通り、どうやら米国式の教育制度の推進には、「国全体をあげての軍国主義からの脱却」という意味合いも強かったようだ。
明治時代にあっても昭和時代にあっても、自らの苦しい生活を省みずに次代の教育のために尽力する日本人の姿は、私自身も読んでいて非常に誇らしい思いになった。
ここで若者教育に関連して昨今の情勢について振り返ってみると、SNSなどで若者をターゲットに特殊詐欺や強盗などの犯罪行為を行わせる所謂「闇バイト」の件数が増加しているようではないか。
読者諸君は、なお一層留守中や夜中の戸締りには気を付けていただきたい。
ここで、闇バイトが増加した背景について考えてみると、「機会」「動機」「正当化」から不正の発生しやすさを見積もる「不正のトライアングル」という考え方が有効であるように思える。
まず、「機会」の観点では、昨今のSNSの流行によって犯行グループからの連絡が殺到しており、若者にとっては簡単に始められてしまうため、今だけではなく今後も増加することが予想される。
「動機」としては酒やタバコ、子育てや中絶を目的とした金銭が代表的なものであると警視庁のHPからも読み取れる。
「正当化」としては、そもそも犯罪であることが隠されており、また、それを見抜くことが出来ずに、気付かぬまま悪事に手を染めてしまうという状況である。
教育の話から若干脱線してしまったが、話を戻そう。
ここで挙げた「正当化」の観点においては、今後、我が国の教育を通じて「犯罪を犯罪と見極めるリテラシー」や、「被害者への共感の心」を養うことで、十分に改善が図られると私は信じている。
本の中で、吉田氏は以下のように述べている。
そう、我々は明治の時代から教育を望み、精神を育んで、国の文化を発展させてきたのである。
令和の時代においても、良質な教育を通じて和魂洋才を体現し続けたいものだ。
近所の公園では、青々とした芝生の上で小さな子供たちがまっすぐな目でボールを追いかけている。
彼らの行く末が安らかならんことを切に願っている。
政治批評・政治的仁義
政治破壊を目論む共産主義思想については勿論のこと、反対政党による謂れのない批判や流言飛語を巻き散らかすマスメディアに対しても吉田氏はしっかりと批判的な立場をとっていた。
例として、一部抜粋をしよう。
こういった性質は、現在においても残念ながら続いているように思われる。某野党第一党は与党の否定と政権交代が一番のイデオロギーとなってしまっており、挙句の果てには、保険証が不正利用をされている事情を全く無視して「紙の保険証を使えるように」などと言っているようではないか。
また、マスメディアに至っては与党の収支報告書不記載については「裏金」と大体的に報じる一方で、野党については殊更取り上げていない。報じるなら報道倫理に乗っ取って全て報じ切り、裏金議員を政界から根絶するくらいの気概を見せていただきたいものだ。
こうした鬱々とした政治状況の一方で、「対決より解決」「公約の実現が第一」を掲げる国民民主党の姿勢は、野党ながらに吉田氏の考えを部分的に実現する政治姿勢のように思える。
戦後復興を実現した昔のように、再び大躍進する日本を実現したいものだ。