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【短編小説】 台風と猫と私の恋

(1)台風発生

「南の海で台風の卵が発生しました」

気象予報士がテレビの向こうでそう言った。

「おそらく2~3日後には台風に成長して日本近海へ進路を取りそうです」

台風も最初は卵なのか。成長して台風になって進路が決まる台風は、今の私より将来性がありそうだ。

 

大学2年の夏。インターンシップに参加する学生がいることを初めて知った。

夏休み前に、数少ない友人の愛美が「インターンシップどうする?」と聞いてこなければ知らないままだったかもしれない。

「え?なにそれ。もうインターン申し込むの?」といった私をあきれたような表情で見た愛美は

「本格的には3年からだけど、2年からのインターンも増えてるよ」と言った。

「皆そんなに就職活動に前向きなの?」

「そりゃそうでしょ。自分が働く会社を探すんだから。優奈みたいにのんびりしてる人は少ないよ」

早い学生はこの夏休みから長期インターンシップを始めているようだ。

 

まだ何の卵でもない私は、インターンシップといってもどこにポイントを絞ればいいのかすら分からない。

そもそも、国文学なんて社会に出たら何に使うのか分からない学部で、教職を取らず、図書館学しか取っていない私が、どこの会社のインターンに申し込めばいいのか。

大学に入ったばかりの頃は、卒業したら図書館の司書になり、毎日本の補修や整理、選定をして、利用者のリクエストに応え、毎週子どもたちに絵本の読み聞かせをして、館内の案内を考えたり、行事の計画を立案して運営して、そうやって生活していくのだと思っていた。

しかし、実際には図書館の求人なんてものはめったにない。

研修先の図書館も司書のほとんどが10年以上の勤務経歴で、一度採用されたら辞めていく人は少ないとのことだった。

自治体の職員採用試験にも図書館司書の採用案内はない。

私が卒業する年に奇跡的に空きができ、採用試験があるということも望みは薄いと思う。

 

就職活動なんてもう少しのことだと思っていた。図書館司書になることしか考えていなかった。これからどうしたらいいのか。

 

子どもの頃から、のんびりしているとは言われていた。

「優奈はのんびりというか、気にしないんよね。お父さんはそういうところいいと思うぞ」

父はそういってくれるが、最近はこの性格はまずいのではと思っている。

このままでは取り残されてしまうのではと焦燥感がなくもない。

 

(2)台風と猫を助ける人

「台風12号が発生しました。日本に進路をとる可能性が高くなりました」

台風12号。名前がついて進路が確定したんだね。

 

こんな私だけれど、バイト先ではまあまあできる人だ。大学に入ってから続けているコンビニのアルバイト。1年半もバイトをしていると、どんなお客様が来てもうろたえることは少ない。コンビニの業務内容はさまざまな多岐にわたり、本当にすることが多い。コンビニの仕事なんて誰でもできるという人がいるが1週間体験してほしい。コンビニの仕事は多分マルチタスクができないと務まらない。

 

 

「台風12号はあさって午後に、九州南部に上陸する予想です」

台風12号。いよいよ日本に来るのか。

 

 

台風前のコンビニは忙しい。皆が備蓄の食糧や水などを買いに来るからだ。パンやインスタント食品はあっという間に売れていく。

台風が上陸するのはあさってなので、まだ配送も来る。

あさって分の発注も準備しておかないといけない。台風上陸前なので、保存の効く食料や水を多めにするか店長とバイトリーダーの高橋さんに確認をしておこう。

いつもより風が強いのはもう、台風の影響なのか。

 

 

「台風12号は明日夜、九州南部に上陸するでしょう」

台風12号、少しスピードが落ちたのか。疲れたのかな。

 

 

今日はバイトがないので、大学のレポートの続きをすることにした。

更級日記についてのレポートだ。

更級日記と作者の菅原孝標女に関する資料を図書館で借りてきたが、それを読むのに時間がかかってしまい、レポートが中途半端な感じで止まっている。2週間後の提出で少し焦っている。朝食後から昼過ぎまで集中して、まあまあ進んだ。何とか形になりそうかな。

 

午後3時、バイト先のコンビニから、シフトに入れないかと連絡があった。高校生のバイトが入れなくなったので、人が足りないということだ。

店長が「本当に申し訳ないんだけど、17時から22時まで入れないかな」と言う。高橋さんがワンオペになってしまうので、困っているという。最近なんだかシフトがおかしい。

レポートが乗ってきたところだったので、行きたくないが、人がいないと言われれば仕方がない。この時間から夜までは忙しい時間だ。ワンオペでは無理だろう。

 

「急遽、今からバイトに行ってくる。22時まで」

母にLINEをして家を出た。

 

家からバイト先まで自転車で10分弱。まあまあの運動になる。最近運動不足だったし、いい運動の機会だと前向きに考えることにする。電動自転車だけど。

気持ちよく自転車を漕いで交差点に差し掛かったとき、人が横断歩道の前に座り込んでいるのが見えた。

え、なになに?

どうしたの?

病人?

事故?

そんなことを思いながら近づくと、若い男の人が交差点付近のつつじの植えこみに話しかけているところだった。

植え込みに話しかける変な人?

危ない人なの?

自転車を止めて恐々近づいて聞いてみれば、

「おいで、そこ危ないから。こっちにおいで」と言っている。

何事かと私も後ろからのぞき込んでみると、子猫がいる。

ひゃー!こんな車通りの多いところに猫なんて、危なすぎる。

気がついたらその人に

「私ちゅーる持ってるんで、それでおびき寄せられないですか?」

と話しかけていた。

その人は私が見ていることに気がついていなかったようで、びっくりしながら振り向いた。

それから、「すみません、ちゅーる貸していただけますか?」と少し間抜けな言葉を発した。

「どうぞ。いつ猫に会ってもいいようにいつも持ってるんで」

ちゅーるを受け取ったお兄さんはちゅーるを子猫の口元の持っていき、「おいしいよ~。こっちにおいで」と少しずつ間合いを詰めているようだ。

1本目のちゅーるがなくなる頃、お兄さんは手を伸ばして子猫の肩をつかむことができたようだ。つつじの茂みから引きずり出された子猫はさび猫だった。

 

「わー、かわいい女の子ですね」と言った私に、

「えっ!見ただけで性別が分かるんですか」と聞いてきた。

「さび猫は三毛猫と同じでほとんど雌しかいないんですよ」

「そうなんですか。猫はあまり詳しくなくてお恥ずかしい」

「今、知ったからいいじゃないですか。全然恥ずかしくないですよ」

その言葉に驚いたのか、そう言った私の顔を不自然なほどに見つめるその人は、茂みから出てきてそのまま、木の枝や、葉っぱやクモの巣なんかが体中についている。

本人は多分気づかないと思うので、「失礼しますね」と言って彼にくっついている植物たちとクモの巣を取り除くことにした。

彼は「あ、すみません。いや申し訳ない。本当にごめんなさい」とありったけの謝罪の言葉を口にして申し訳ない気持ちを表明していた。

「ところで、お兄さん、その子猫はどうしますか。連れて帰れますか?」

「え、いや、僕のアパートはペット不可なので、連れて帰れません。すみません」

とまたも謝罪する。

「あんな所にいたら車にひかれると思って、何も考えずに無我夢中で…。台風も来るっていうし、すみません」

「全然謝る必要はないですけど。確かにあんな所にいたら、危ないですし、私でも保護したと思います。どうしようかな。うーん…。仕方ない。いきなり最終手段を取りましょう」

私は母に電話した。母は無類の猫好きだ。困っている猫をほっておけないのだ。そのため、うちには保護した猫が4匹いる。

「あ、お母さん、仕事中にごめんね。今大丈夫?実はね、今、子猫を保護したの。交差点の植え込みで動けなくなってたの。そう、そんなところにいたら危ないよねえ。だからとりあえず保護したの。1カ月半くらいかな。さび猫。うん、母猫は近くにはいないみたい。うん、かわいいよ、めっちゃ可愛い、それは保証する。はーい、ありがとう」

「はい!OKいただきました。うちで保護します」

目の前で突然繰り広げられた展開に、置いてきぼりになったお兄さんは、まだ取り切れていない木の枝を肩からぶら下げながら、きょとんとした顔をしていた。

「この子はうちで引き取ります。親の承諾は得ました。ただ、」

「ただ?」

「私は今から22時までバイトがあります。母は18時まで仕事で猫を迎えに来られません。その間猫をどうするかです」

「そ、それは僕が責任をもって預かります。でも本当に良いんでしょうか。なんか丸投げしたみたいで申し訳ないです」

「大丈夫です。うちの母は無類の猫好きですから。でも今はまだ16時30分です。今から2時間、この子とお兄さんの居場所を確保しないと」

「カフェとかハンバーガーショップとかは…だめですよね」

「食品を扱うところはだめでしょうね。1カ所、心当たりがあるので、連絡してみます。ところで、お兄さんは本屋で時間を潰せる人ですか?」

「えーと、はい、何時間でも」

バイト先から徒歩5分のところに行きつけの古本屋がある。そこのお店のご主人は何時間いても何も言わないし、お店は21時まで開いているし、何よりこの人も猫が好きだ。何しろ店名が「黒猫屋」なのだ。お店にも本当に黒猫ちゃんが店番をしている。

 

お兄さんを黒猫屋まで案内して、店主の神戸さんに事情を説明して、バイト先に向かった。

お兄さんは岡山佑介さんというらしい。うちの大学の近くにある理工大の3年生だった。

 

コンビニに行くと高橋さんが「優奈ちゃんごめんね。休みだったのに。私がメインで行くから優奈ちゃんは楽な作業しててね」と言ってくれた。高橋さんは本当に優しい人だ。もう随分ベテランの店員さんだ。でも、仕事に来たからには本気お仕事モードで行くぞ。

 

夕方になると仕事帰りの会社員や学生で店内が混み始める。台風の接近でやっぱり水やパン、インスタント食品が売れていく。作業に追われて気がつくと19時を過ぎていた。

バックヤードでスマホを確認すると、母と岡山さんからLINEが来ていた。どうやら無事に合流できたようだ。これで子猫のことは一安心。22時に深夜シフトの大学生が来るまで時間を忘れて働いた。

 

家に帰ると母は「猫ちゃん元気よ~。やっぱりあれくらいの子猫の可愛さは特別だわね。」

とさっそく猫のかわいさにメロメロのようだ。

「それから、あの岡山さん?あんまり服が汚れてたから、家まで送っていったの。あの服じゃ電車もバスも乗れないじゃない?そしたらね、送っていく間もすみません、申し訳ないってずっと謝っていたのよ。気持ちは分からないでもないけど、あの口癖は直した方がいいかもね」と言う。

やっぱりそうだよね。私もそう思ったもん。

 

 

「台風12号は進路をやや西に取り、明日の夜遅く九州の西部に上陸する見込みです」

お、台風12号、少し進路変更してスピードも落ちたのか。人も台風も予定通りにはいかないということか。

 

(3)台風と「食事なのか?デートなのか?」の約束

今日はいよいよ台風がやって来る。そんなに歓迎することもないのだが、何となく台風の進路が気になる。

 

台風の影響で、風が強く雨も結構降っている。今日は自転車では行けないので、バスで行くことにした。

本部からの通達で今日の配送は夕方の便で最終ということだ。昔のように何が何でも配送するようなことはなくなっている。バイト先も今日の夜から閉店する。従業員の安全確保のため、どこも働き方改革だ。

 

湿気をたっぷりと含んだ南風が強く吹き付け、バスを待っている間も、服がしっとりと濡れるくらい降っている。いやだな…、帰りはどうしよう。父か母に迎えに来てもらえるかな、などと思っているとバスが少し遅れてやってきた。ICカードをかざしてバスに乗ると、中は冷房が効いていてひんやりして気持ちがいい。空いた席を探そうと車内を見渡すと、男性と目が合った。昨日の岡山佑介さんだ。岡山さんの隣が空いていたので、座りながら

「こんにちは。昨日はお疲れさまでした」と声をかけると

「あ、はい、お疲れさまでした。きのうはお世話になりました。お母さんに家まで送っていただいて、ありがとうございました」今のところは謝らずに会話をしている。

「今日はどちらまで?」

「実は昨日の黒猫屋に忘れ物をして、電話をしたら夕方までは開けているというので取りに行くところです」

「忘れ物って何を?」

「買った本を忘れてしまって。申し訳ないです」

「あ、また謝った。」

「え、謝ってますか?」

「はい、謝ってますね。その癖辞めたほうがいいと思います。母もそう言っていました」

「そうかあ。そうなんですよね。自分でもわかっているんですが、油断すると出てしまうんです。子どもの頃からの癖で」

「急には無理でも、少しずつ意識して回数を減らしていけたらいいですね。ところで、買った本というのは?」

「アンディー・ウィアーの『火星の人』です。上下巻で500円だったので」

「それって、オデッセイの原作ですか?」

「そうです、そうです。マットデイモンの」

「私マットデイモンが大好きで、あの映画も好きなんです」

「僕もあの映画が好きで、あれに影響されて工学を勉強したいと思ったんです」

「植物学ではなく?」

「将来的には植物学もいいですね」

「生き残るために?」

「ぼくにはマーク・ワトニーのタフさはないですけどね」

「ルイス船長のディスコミュージックを聞けば生き残れるかも」

「生き残るためにはまず、ジャガイモの育て方を勉強しないといけないですね」

 

「あの子猫の名前は決まりましたか」

「はい、モカに決まりました」

「モカちゃんか、いい名前ですね」

 

きのうは気がつかなかったが、岡山さんは爽やかで感じがいい。

 

ふたりでそんな話をしていたら、あっという間にバイト先の最寄りに着いた。

同じバス停で降りて、それではと別れようとしたら、岡山さんが

「若月さん、今日バイトは何時まで?」と尋ねてきた。

「今日は早番なので、17時までです」

「よろしければ、そのあとお茶でもいかがですか?」

これは誘われてる?爽やかで感じのいい岡山佑介さんに。しかし、今日の天気は最悪ではないだろうか。

しかも、誘った当の本人が

「彼氏とか、いたらご迷惑ですよね。軽々しく誘ってすみません」とまた謝った。

「謝らなくていいですし、彼氏はいないですし、お誘いはうれしいのですが、今日は台風が来るのでほとんどのお店は夕方で閉まるらしいですし、うちのお店も20時で閉店予定です。今日はやっぱり早く帰ったほうがいいと思うのですが…。あ、これはお茶をするのが嫌だということではなくて、今日は天気の都合が悪いというか…」とかなり意味不明で変な文章をものすごい早口で話していた。

「そうですよね。ちょっと調子に乗ってごめんなさい。」

「だから、謝らなくていいので、日を改めるとか」

「そうですね。では、バイトが終わる時間にコンビニまで迎えに行きます。帰りながら予定を決めましょう」

え、意外と積極的な岡山さん?

 

 

今日のお店はインスタント食品やパンに加えてお弁当やサンドイッチもよく売れる。お菓子も冷凍食品も出ている。電池や懐中電灯、モバイルバッテリー、お店にあるものはすべて売れていくような勢いだ。

いよいよ台風が近づいていて、皆、慌てて準備をしているんだな。

 

バイトの上りの時間近くになると本当に岡山さんが店の前で待っていた。雨が降っているのに店内に入ることなく前で待っている。

同じ大学生のバイトの男の子が

「あの人さあ、なんで店に入らないんだと思う?濡れるでしょうにね。誰かと待ち合わせでもしてるんかな?」と話しかけてくる。

私は「さあ?なんでだろうね」と知らないふりをした。

17時を回ってタイムカードを押し、「お疲れさまで~す!お先に失礼します!」といつになく無駄に元気なあいさつをして店を出た。従業員入り口から出て、待っている岡山さんのところへ行った。相変わらず人懐っこい笑顔で

「お疲れさまです。ここで待ってて迷惑じゃなかったですか?」という。

なんだか昨日とは少し雰囲気が違っていて、調子が狂うな。

「いいえ、迷惑ではないですけど、バイトの子が何してるんだろうって話してました。明日になったら、噂になっているかもですけど」

「噂になったら困りますか?」

「いいえ、別に困らないです」

 

外の風はずいぶん強くなってきているし、傘をさしていても濡れるくらい横向きに雨が降っている。

バスも少し遅れているようで、バス停にはバスを待つ人が並んでいた。

「若月さんはひばりが丘ですよね」

「岡山さんはどちらまでですか?」

「烏森までです。烏森だと学校に近くて便利なんです」

「烏森って神社がありますよね。そこの秋祭りに子どもの頃よく行っていたんです」

「確かに10月の初めにお祭りしてますね。残念ながら僕はまだ行ったことないですけど」

「いろいろなお店が出ていてとても楽しいですよ」

バスが来たので乗ろうとしたが、いつもより人が多くて混雑していた。

人が多くて少し蒸し暑い車内で、

「いつにしますか?」

「いつにしましょうか?」

「いつがいいですか?」

「いつがいいですかね?」

と答えが出そうにない会話を繰り返していた。

まわりで聞いていた人がいたら「いつでもいいから決めろよ」と思ったかもしれない。

結局、二人のスケジュールをすり合わせ明後日、昼食をご一緒することになった。

場所はLINEで連絡するということで、バスを降りた。バスを降りるときに人が多くて降車口に行けない私を巧みにエスコートして降ろしてくれた。

「じゃあ、また」

彼は爽やかにそう言って手を振った。

 

(4)台風去ってデート

「台風12号は強い勢力を保ったまま、九州西岸に近づいています。これから雨、風ともに強くなり、今日の深夜ごろ九州に上陸するでしょう」

台風12号、ほどほどの雨とほどほどの風でお願いします。

 

私は家族と住んでいるし、父も母も準備の良い人たちなので、台風が来てもそんなに怖さを感じないけれど、ひとり暮らしの岡山さんは怖くないのだろうか。食料の備蓄とかはあるのかな。停電したら懐中電灯とか用意してあるのかな。こんなに岡山さんのことが気になるのはなぜ?気になる。LINEしてみようか。でもさっき別れたばかりで、付き合っているわけでもないのに即LINEはどうなんだろう。うざいかな?

スマホを握りしめてソファの上で唸っていたら、母が

「優奈、何してるの。ゴロゴロしてないで、晩御飯の用意を手伝ってよ」と言われた。

母の隣で、ジャガイモの皮をむいていたら、

「昨日の岡山さん、連絡してみた?」母が聞く。

心臓が跳ね上がった。

「心配しているかもしれないから、モカの写真送ってみたら」

そうか、その手があったか!

夕食後モカをモデルに写真をたくさん撮った。

先住猫の麦と桃とそらとこはくの写真も撮った。話のネタは多いほうがいい。

 

さっそくLINEで『モカは元気です』とLINEに写真を送った。

『おお、美人さんになって。元気そうですね』と返ってくる。

それから猫の話でやり取りをして、ところでという雰囲気で聞いてみた。

『一人暮らしで台風は怖くないですか』

『若月さんと話している時は怖くないです』

ええ、それはどういう意味なんだろ?私と話していると楽しいということ?どう返すのが最適解?少し考えて、

『私のおしゃべりが役に立ってうれしいです』と返すと

『今日、若月さんと会えてよかった』と返事が来た。

会えてよかった?えー!どういうことなんだろう。会えてうれしかった?

『今日、若月さんと会えていなかったら、一人の夜がさびしかったと思います』

そんなこと言われたらドキドキしてしまうじゃないですか。

『LINEで話してるだけですけど』

『LINEでも話す相手がいると心強いです。特に若月さんと話すのは楽しいですし』

どう返事をしたらいいのか分からないので、猫の写真を送って紹介しまくった。

そのたびに、岡山さんは『かわいいですね』『きれいな猫ちゃんですね』と律儀に返事を返してきた。しばらくやり取りしたあと、思い切って

『実は私も岡山さんと話すのは楽しいです』と返信した。

ややあって、『よかった。ぼくの一方的な気持ちが負担になってなくて』

これは……、どういうことかな?明後日の食事はただの食事会?それとももしかしたらデート?みたいな感じなのかな?いや、まだわからん!気持ちが激しく揺れ動く。

その後、『台風気をつけてくださいね~』みたいな雰囲気でLINEを何とか終わらせたが、胸が痛い。明後日の私がんばれ。

 

 

「大型で強い台風12号は午前0時過ぎに熊本に上陸しました。速度が速く暴風域が広いため、突然の強風や大雨も予想されますので、今後の情報に気をつけてください」

台風12号、なるべく早く走り抜けてね。

明後日は大事な予定があるから。

 

 

私の願いが通じたのか、台風12号は速足で駆け抜けていき、翌日の午前中には日本海へ抜けていった。

台風が過ぎたあとは、少し秋の気配も感じられるようになっていた。

 

いよいよ明日は岡山さんとの食事会?デート?とにかく岡山さんと待ち合わせをしているのだ。最近おしゃれなお店がたくさんできている通りにあるレストランカフェで食事をすると決まった。

何を着ていく?美容室行く?靴は?バッグは?良いのあったっけ?

クローゼットから洋服を取り出し、部屋でバタバタしていると弟が

「姉ちゃん、バタバタ何しとるん?」と顔をのぞかせる。

「何でもないから、入ってこないで。ところであんた部活は?」

「昨日と今日は休みだよ。服たくさん広げて。もしやデートか?」

この弟は普段は高校のラグビー部で、どろどろに汚れていて、恋愛事情とは遠い場所にいるような男子だが、時々するどい。

「デートいつ?てか、誰と?姉ちゃん彼氏おったんか?」

「明日やけど、デートじゃなくてランチするだけかもしれんし、私にもよくわからん」

「そうか。まあ、どんな人か知らんけど、その薄いグリーンの花柄のワンピースがいいと思う。その色、姉ちゃんに似合うよ」

こいつは…いつまでも小さい弟だと思っていたら、そんなことを言うようになっていたのか。

「とりあえずありがとう」

「おう、幸運を祈る」

弟の成長に感動し、その弟に幸運を祈られて、明日私は出陣する。

 

 

「台風12号は九州に上陸したあと、中国地方から日本海へ抜け、今日昼過ぎ、温帯低気圧に変わりました。引き続き東日本では雨風に警戒が必要です」

台風12号お疲れ様。

 

 

「ねえ、修太から聞いたんだけど、優奈、明日デートなの?」母が言う。

あのラグビー男子、話したな。

「いやー、デートっていうか食事会?」

「もしかして、あの岡山さん?」

そうです、あの岡山さんです。母も鋭い。

「んー、まあそうねー」

「彼、良い人よね。性格もよさそうだし。まあ、楽しんできなさい」

「ありがとう。楽しんできます」

 

その日の夜の食卓で、明日のことを知らないのは父だけで、でも母が何も話さないのは、きっと今は父には言わないほうがいいだろうという母の賢明な判断だと、私も修太も暗黙の裡に了解したので、明日の話はしなかった。お父さんちょっとごめん。

 

『明日、楽しみです』

『僕も楽しみです。今日寝られないかも』

二人でLINEで少し話をして、明日に備えて眠りについた。

 

翌日は、すっかり秋めいた気候で、ワンピースにジャケットを羽織って、父から去年の誕生日にプレゼントされたパールのピアスに一粒真珠のネックレスをして出かけた。

バスで会えるかと思っていたが、会えなくて少しがっかりした。

 

待ち合わせ場所のレストランの前ではすでに岡山さんが待っていて、私を見つけると大きく手を振ってくれた。ちゃんとジャケットを羽織って、しかも小さなブーケを用意してくれていて、

「今日は来てくれてありがとう」と言ってくれた。

何、この人は、用意がよすぎない?

 

さらにレストランの中に入ると、すでに席が予約してあって、ウェイターさんが席まで案内してくれた。このお店は少しお高めで、学生の私たちは行きづらいお店なのに。

「実はブーケを買うために2本くらい早いバスに乗ったので、ご一緒できなくてすみませんでした」なんていうことも素直に言ってしまう人なんだ。

 

予約してあるテーブルで、私たちはランチコースをお任せで頼むことにした。

ランチとはいいながら、パン、前菜、スープ、メイン、デザート、コーヒーと軽めではあるがちゃんとしたコースになっている。

「こんないいところで食事なんて思わなくて、もう少しドレスアップしてきた方がよかったですね」

「いえいえ、そのワンピースはとてもきれいな色で華やかで、優奈さんによくお似合いです。真珠のネックレスもとても素敵です」

え、今、優奈さんって名前で呼んだ?

「岡山さんもこの前と違って、大人っぽく感じます。最初のイメージと少し違いますね」

「モカちゃんを保護したときは、ひどい格好でしたからね。でもモカちゃんのおかげで優奈さんと出会えたわけだし、僕にとってモカちゃんは神様かもしれない」

「そんなふうに思っていただけるなんて、モカも喜ぶと思います」

 

そんな話をしている間も料理は粛々と運ばれてくるわけで、私たちはおいしい料理をいただきながら、今の二人の関係性をお互いに模索していた。

いや、模索しているのは私だけなのかな?

 

学校での専攻のことや、アルバイトの話、家族のことなどいろいろ話した。

驚いたのは、岡山さんがこのレストランでアルバイトをしていることだ。

高校生の家庭教師と掛け持ちで、ここでのホールの仕事をしているらしい。

「実は思い切りコネを使ってここを予約したんです」と笑う。

「ここでの仕事の最大の利点は賄があることです。シェフの渾身の賄は言葉の綾ではなく、本当に僕の生きる糧になっています」

「僕の家庭は事情があって、自分の生活費は自分で稼がないといけないんです。だからバイトを掛け持ちしています。家庭教師先がかなり破格な授業料を出してくれるのでそれもかなり助かっています。学費は給付型奨学金を受けているので、成績が落ちない限りは大丈夫なんですが、書籍代やほかにも大学で必要なものはあるので、バイトは掛け持ちが必須ですね」

私は自分のバイト代はすべて自分のことに使っている。両親から家にお金を入れなさいと言われたこともない。なのに岡山さんは自分で生活費を作って自活しているんだ。たった1歳しか違わないのにとても大人だと思った。私なんか本当にまだ子どもだ。ガキだ。

「なんか、自分が恥ずかしくなります。親と一緒に暮らしていて、バイト代は全部自分のもので、学費も親に出してもらっていて、毎日ぼんやりと暮らしていて」

「優奈さんの家族から愛されているそんな雰囲気がぼくはとても素敵だと思います。恥ずかしいですが、はっきり言ってしまうとそういうところが好きです」

「え?好きって?」

「はい、僕は優奈さんのことが好きです。初めて会ったときになんだかいいなと思いました。ふわっとして、人を包み込むように優しくて、でも自分をしっかり持っている。そういうところがとても素敵な女性だと思いました。ここまで言ってしまったのではっきり言います。よければお付き合いしてもらえませんか?」

えー!そんな急展開!デートかなとは思っていたけど、今日こんな展開になるなんて。

「ご迷惑でしたらはっきり断っていただいて構いません。ただ、僕は優奈さんのことが好きだという気持ちを伝えたくて…」

「いいえ、迷惑なんてことはまったくなくて、私も岡山さんのことは素敵な方だなと思っています。自分が汚れるのも構わず猫を助けるやさしい人だなと。お話ししていてもとても楽しいし、頭の良い方なんだなと思います。あの…、なんていうか、これからよろしくお願いします」恥ずかしくて顔が上げられない。きっと赤い顔をしていると思う。

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。うれしいなあ、優奈さんのような素敵な女性と付き合えるなんて、夢みたいだ」

何とか顔を上げると、カウンターの向こうでウェイターさんが小さくガッツポーズをしていた。

 

 

こんな展開で、岡山佑介さんとお付き合いをすることになった。

岡山さんと呼ぶのも変なので、佑介さんと呼ぶことにした。

 

レストランの食事はとてもおいしかった。

いつか両親を招待しようと思った。弟は…留守番でよろしく頼む。

 

更級日記についてのレポートはわれながら良く書けたと思う。

ゼミの教授にどんな評価をしてもらえるか楽しみだ。

大学は9月末から後期が始まる。

インターンについてはもう少し考えてから結論を出そう。人の意見や動向に流されて慌てても良いことはないように思う。

私は私、自分なりにだ。

 

季節はすっかり秋。

まだときどき暑い日もあるけれど、もう少しすれば金木犀も咲くだろう。金木犀の香る道を二人で歩けたら素敵だなと思う。金木犀が咲いたら散歩をしよう。

烏山の秋祭りも二人で行こう。

佑介さんはバイトが忙しいから、少しでも負担を減らせるように晩御飯を作りに行くのは大丈夫かな?

 

これから二人で楽しいことも悲しいこともつらいことも乗り越えていけたらいいなと思う。

 

父に紹介するのはもう少し後かな?

そのタイミングは母が決めてくれるそうなので、それまでもう少しお父さんごめんね。

 

(了)

 


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