大河ドラマ「光る君へ」スペシャルトークショーin宇治 レポート(第一部)
第一部、根本知先生の講演部分のみのレポートです。
第二部のレポートも書きましたが、いくつかのメディアから記事が出ていますし、私のレポはやや不公平で品性に欠ける書きぶりなので公開しません。ご了承ください。
なお、今回のイベントの模様は10月18日金曜日、午前11時30分からの「ぐるっと関西おひるまえ」という番組で放送されるそうです。その名の通り関西ローカルなのかな…?全国の皆さんが見られる環境が整いますよう願っています。
それでは、根本先生の講演レポ、どうぞお楽しみください♪
(あやふやな点は調べながらできるだけ間違いのないように書きましたが、私の聞き間違いや認識違いで訂正の必要な表現がありましたら申し訳ございません)
第一部 『大河ドラマ「光る君へ」題字の裏側と平安の書美』 講師:根本知先生
〇宇治市長の挨拶 「応募約8300 人から選ばれた1300 人の皆さん」 ←どよめきと拍手
根本さんがカッコいい、俳優さんかと思った
〇NHK 京都局長 根本さん足が長くてカッコいい、俳優さんですかと聞いた
個人的に気になってて聞きたいこと ①御嶽詣前に道長が頼通に禁欲できるか聞いて、頼通がやや間を置いて「…できます」と答えたが、あの時の頼通はなぜあの表情?
②御嶽詣最中の崖登りで俊賢が助かったのを見る道長の視線が冷たい感じなのはなぜ?
根本先生のご登場☆
「役者ではなく学者です。めちゃくちゃ出づらすぎるご紹介がありましたが笑」と第一声。今年40歳。
博士課程で本阿弥光悦の研究をしていた。絵と書のコラボが素晴らしい。お茶の文化にも詳しい。日本文化において小筆がいかに大事であるか素晴らしさの啓蒙活動をここ10年やっていたところに大河の話がきた。
専門分野の光悦の時代は安土桃山なので、まずどれくらい平安時代のことが分かっているかの確認、面接みたいなやりとりをして「また来週」と言われた。それはどういう…?「仲間入りですよ」というお返事だった。
まず初めの仕事は吉高さんに会うこと!左利きだが右で書けるかどうか見てほしいと。やっと小筆が注目されるようになったと嬉しくて吉高さんに源氏物語のことや仮名のことをたくさん話したら、「私の話全然聞かないじゃん!」「(仮名のことが)大好きじゃん!」と言われた。
100カメでも指導の様子が映ったが、自分は筆を持つときに小指の第一関節まではつけている。吉高さんはいい意味で小指が短くてつかない。利き手じゃないから筆を優しくしか持てない。
役者さんたちに指導するとき、見ていてくださいと手本を見せると彼らはまず、根本先生の姿勢とか腕の動きとかを観察する。それからもう一度見せてくださいと今度は手元を見て文字の細かいところを観察する。形態模写のよう。
《みんなの文字設定の話》
〇まひろ 吉高さんの書きやすい字。手の大きさが文字の大きさになる。伝紫式部の古筆切がある。「伝 紫式部」とは後世の人が“この雰囲気はこの人の手によるものだろう”と見ているということ。それを見て根本先生は、 “細くてくるくるしている ・早書き・手が疲れない書き方だ”という印象を持ち、そこに吉高さんの疲れない字形をプラスしてこのドラマの式部の文字ができている。
吉高さんとは、初め自分が書いてその続きを彼女が書く、初めを彼女が書いて途中を自分が書いてまた続きを彼女が書く、とか色んなパターンでゴルフのキャディさんみたいにお互い寄り添って書いている。
「為」の字でまひろだと分かる演出プランを聞いたときは震えた!この時代署名がなくても誰が書いたものか分かる。字はその人を表す。宮中で字が書けたのは30人くらい?それくらいなら覚えられる。
☆ここで急に題字の話☆
題字は NHK 側はまず色んな人を考えてみたが、根本先生にお願いしようということになった。でも「根本先生の作品を見たいわけではない」と言われた。紫式部が道長に手紙をかくときに「道長さまへ」ではなく「光る君へ」と書いたとしてその字を書いてほしいと。
縦書きはクールにデザイン的に組み立てて書いた。横書きは好きなように書いてと言われて縦を同じ字で書いた。実は縦と横で微妙に違っているんです。「光」の最終画ひゅっと細いところが気に入っている。仮名は「る」と「へ」か…50音の中で一番かっこ悪い字じゃん!笑 「や」とかならかっこいいのに…笑 (ここのぶっちゃけ面白かった!!)
題字4字のうち仮名は2字、 漢字は2字。 その漢字の中にも仮名のような細い字・線を入れていった。それで、「為」の字もそのように細い線が入っている。(ここで流れが繋がる話か!)
《みんなの文字設定の話》改めて。
〇道長 御堂関白記、直筆の実物が残っている。晴明の占い結果を日記に書いてハッとして上から塗りつぶすシーン。実物の塗りつぶし線は2本。撮影1回目は消す線が重なって太い1本になってしまった。カットがかかってカメラマンさんたちは何も気にならず OK と思っているのに柄本さんは「うーん…2本ですよね?実物は線と線の間が2mmくらい隙間空いてますよね。そっちの方がいいですよね?」ということでやり直し。2回目でうまく隙間を空けられてOK。
なんでこだわったかというと、考証の倉本さんが道長大好きで御堂関白記はほぼ同じようにしてほしいと聞いていたから完コピを目指した。
☆ここで急に年中行事障子の話☆
一番初めにきた仕事。歴代の関白さん、兼家・道隆・道兼・道長の後ろにいつも飾られている。が、一度もこれにピントが合わない(涙&笑)表も裏も書いてあるのに!
考証の佐多さんが、「真実は細部に宿る」をもじって「演出は細部に宿る」と言って、これがあることで平安の雰囲気が出ていると褒めてくれた。またNHK で平安ものを撮るときにきっと使ってもらえるよ、とも。
《みんなの文字設定》改めて。2。
〇斉信 笛が上手くて自信家だった。中国の王義之の字のオマージュのような字にした。
〇公任 肉筆が残っているが、書き散らした字なのでオマージュするとドラマの人物像に合わない。伝公任の字を模して作った。
〇行成 先生の推し!最も作成に時間をかけた。
※日本人の漢字がやわらかい話※ 空海が王義之の書を日本へ持ち込んだ。遣唐使を中止していたので筆の持ち方が分からなくなっており、平安では指2本で持っていた。宋からきた朱さんは3本で持ってもらった(一瞬だけ書き姿が映るシーンがある) 。 他の人はどう持つか、源なら?実資なら?と設定を考えて筆を持つ指の本数を決めた。 指2本で持つと、縦のまっすぐな線が「ノ」のようにななめにいってやわらかさが出る。
根本先生の書の先生は行成。字のくせを学んで集めて書いた。他の人はさっと書いて提出できても、行成だけは数時間ひきこもって集中して書くので、監督に「行成だけ遅い」と言われた。
天皇に献上する古今和歌集の写し。関戸本古今和歌集(名古屋の関戸家所蔵のもの)は行成の書と言われているのでこれと同じように書けばいいと思っていると、冒頭を書いてほしいと発注あり。行成の手による冒頭部分は残ってない!!汗 行成ならどう書いただろうと想像しながら本当に恐れ多いことだと思いながら書いた。今見返しても、うーんと思う出来のところがある。
〇清少納言 ウイカさんは書道経験があるから姿勢や佇まいがとてもよかった。「春はあけぼの」も書いているのにカメラは横写しで手元が映らず…でも腕の動かし方や筆遣い、佇まい、全身を使っての表現が素晴らしかった。
―みんなの文字設定、以上―
・彰子入内の際の色紙形(屏風歌)はいつも頼んでいる表具師の人を呼んでその場で糊を作って貼ってもらった。この障子に仮名で書かれた和歌が貼られたことで、これ以降仮名が公に出されるものとなったのでとても意味があるもの。それまで、漢字(真名)とかな(仮名)は漢字が格上でかなが格下というはっきりとした序列があった。
・100カメに出てたヒトシさんはいつも先生に仕事を発注してくれる人。「源氏物語の原稿が風にあおられてバサバサとなっている様子を撮りたい」とのこと。これまでに書いてためているものを重ねておけばいいのではと思ったが、最近のテレビは画素数がすごい&一時停止して観る人がいるとのことで、20枚くらい裏表全部源氏物語を書いた。桐壺の次は帚木、…若紫と話がちゃんと進んでいる。
・平安時代、心の形はひもとか糸のようなものをイメージしていたと考えられる。心が乱れる、からまる、たわむ、結ばれる…全部糸とか青柳のようなものをイメージした動き。
仮名序の「やまとうたは~」この美しい文章が大好き。人の心を種として感動などの肥料を与えることで「ことのは」=葉っぱが出てくると。 大学時代の大先生に言われた「かなは柳の葉のように書きなさい」という言葉をずっと心に留めています。
・本阿弥光悦は平安の書画の素晴らしさを、自分の生きる安土桃山時代に合った形で取り入れた人。私も平安時代の良さをそのまま令和にもってくるんじゃなくて、令和に合った平安の雅さというものを求めて皆さんにお届けしていけたらいいなと思っています。
45分間の講演でしたが、もっともっと大学の講義のように90分くらい聞いていたかった!
貴重なお話を聞けてとても嬉しく、ますます大河ドラマ「光る君へ」の"作り物"の細部への興味関心が掻き立てられました。
根本先生ありがとうございました!
このnoteを最後まで読んでくださった貴方もありがとうございました!