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映画『僕が愛したすべての君へ/君を愛したひとりの僕へ』考察 ネタバレあり

(小説版もそうだそうですが)同時公開された2つの作品のどちらの方から先に観るかで物語から受ける印象が変わるという中々に凝ったコンセプトで有名な本作。
アニメを観るのが久々の僕もドハマりしてしまいました。

一応、「切ない物語」が好きな人は『僕が愛したすべての君へ』の方から「幸せな物語」が好きな人は『君を愛したひとりの僕へ』の方から観るのを公式は推奨しているそうです。

ちなみに僕は上記の理由から「僕が愛した」→「君を愛した」の順番で観ました。
2つの作品はもちろん物語の違いもありますが

『可能性』がテーマになっている「僕が愛した」は謎が多く残されている一方で最後は大団円で終わり、『約束』がテーマになっている「君を愛した」は基本的に一本道で物事が進むので物語が分かりやすい一方で最後は想いを託すといった感じのやや曖昧な形で終わる。というテーマと構成上の違いもあります。

僕的には「僕が愛した」で感じていた謎や違和感(これが多いのがこの作品のネットで評価が低い一因かな)が「君を愛した」で次々と解消されていくのが非常に小気味よかったので(むしろこの順番しかありえなくない?)と思った一方、なら逆の順番で観ていたらどう感じたのかな?思って考察してみた所、物語のさらに奥深い魅力に気が付いたのでその事について書かせてもらいたいと思います。 

作品を観る順番で何が変わるのか、それは先述の様なイメージよりももっと根本的に変わる物があるという事です。

まず1番わかりやすいのはヒロインの違いがありますよね。
僕が先に観た『僕が愛した』のヒロインは和音で、主人公である暦の猛アタックの末に2人は恋仲になり、最期まで仲睦まじい姿が描かれます。
その一方で『君を愛した』のヒロインである栞は意図的な演出でしょうが(物語の伏線でもあります)劇中では暦にとっては幼少期にすれ違うだけの人に過ぎず、彼との関わりは非常に少ないです。
そしてこの『僕が愛した』で1番重要なのは物語の終盤に、暦と恋仲にならなかった世界線である『君を愛した』の和音も実は暦に恋愛感情を抱いていたことが解るという事です。
逆に『君を愛した』では和音は暦にとって最後まで良き友人であり『僕が愛した』での栞と同じ演出でしょうが、彼女の素直になれない性格も相まって暦に恋愛感情を持っている事が解る描写は出てこないので、『君を愛した』の世界線の和音も実は暦の事を愛していたというのは『僕が愛した』を先に観た人しか知らない事実だということです。

以上の隠された事実を踏まえて和音の視点で時系列を作ってみると… 

『君を愛した』
高校の始業式で目立っていた暦は和音にとって気になる存在になります。
和音は暦の事をずっと目で追っていたでしょうし、学業で張り合ってみたりもしますが、暦は和音が言う所のデレカシーに欠ける性格なのでその事に気付かず、そもそも暦は栞の事で頭がいっぱいな事もあって特に2人は関わり合う事もなく学生生活は終わってしまいます。

暦のその後の活躍を知った和音は彼を追って研究所に入ります。
そこで友人として研究を手伝っている内に暦への恋愛感情は確固たるもの(結婚を夢見る程)に変わりますが、素直でない和音は想いを伝える事ができません。
飲み会でへべれけになってしなだれかかったのは彼女なりのアピールの可能性もありますが、栞の事で頭がいっぱいの暦には通用せず、さらにはパラレルシフトで和音と恋仲になっている世界線がある事を知ってしまった暦は栞のために彼女とそうならない様に予防もしていたはずです。 

結果、想いを伝えられないまま最後まで彼の友人であり続けた和音はタイムシフトで違う世界線の分岐点の始まりへと行く彼を見送りました。

(物語は『僕が愛した』に移ります)

分岐の始まりに立った暦は今度は父親ではなく母親についていきます。(これはこの世界の暦は気付いてないでしょうが、前の世界での願いであり、研究所に務める父親について行かない事で栞との関わりを薄くするためです)

結果として、この世界での栞は暦にとっては名前も知らない1度すれ違っただけの少女に過ぎませんが、その一方で幼少期の和音は大型犬(ユノ)に追いかけられて「ふぇーーーん(泣)」となっていた所を割って入ってきた少年(暦)に助けられます。(『君を愛した』での暦とユノとの再開シーンをよく見ると和音らしい少女が写っている事と、『僕が愛した』での「犬に追いかけられていた所を助けてくれた。その時の暦はもっと男らしかった(『君を愛した』の暦は男らしい)」という発言が根拠)
そんな年齢相応の子供っぽい理由で音和は少年(暦)に一目惚れします。

ここからは『君を愛した』とも被っていくのですが、和音は高校の始業式で少年(暦)と運命的な再会を果たします。
デレカシーに欠ける暦はその事に気付きませんが、幼少期の経験から 『君を愛した』のこの時よりも想いが強くなっていた和音は勇気を出して自分の方から暦と関わり合いを持つことが出来ました。
その結果として2人は恋愛関係になって結婚し、子供に恵まれ、年老いるまで仲睦まじく暮らしました。

つまり、『僕が愛した』から観た場合はこの物語は暦よりもむしろ和音の一途さが『可能性』を創り出した事で最後に想いが通じるという和音にとってのラブストーリーに見えるわけです。

逆に『君が愛した』から観た場合は、和音が実は暦に恋愛感情を持っているという事は次作の『僕を愛した』の終盤までわからないので、和音は暦にとってはあくまでも友人…脇役に過ぎず、一貫して栞がヒロインとして描かれるので主題としては暦が栞との純愛を貫いて彼女との『約束』を果たすまでの物語となっています。

つまり先述の『可能性』と『約束』というテーマの違いは作品単体ではなくシリーズ全体として生きているんですね。

そして、仮に僕の予想通り『僕が愛したすべての君へ』から観ると和音が主題の物語になっていて、『君を愛したひとりの僕へ』から観ると暦が主題の物語になっているとすると、題名の『君』と『僕』の意味が味わい深くなりますね。

「どちらを先に観るかで物語から受ける印象が変化する」という謳い文句を、どっちかを先に観てると次の作品を観た時に「おっ!」と思う箇所でもあるのかな?くらいに軽く考えていたのですが、予想以上に2つの作品が密接にリンクしていて、先述の様な考察要素といい、物語の深さに関心すると共に非常に感動しました。






 


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