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映画『ロスト・イン・トランスレーション』の日本観考察 ネタバレあり?

東京を舞台に異国の地で出会った男女の大人の恋愛を描いたラブストーリーで、ソフィア・コッポラ監督がアカデミー脚本賞を受賞した作品です。
その割に舞台となった日本での評価が振るわない様ですが、それは「日本」が主人公である二人の視点から見て「好きな国」ではなく「合わない国」として、やや批判的とも取れる…それも違和感を感じる様な描かれ方をしている事で顰蹙を買ったのかなとそう思いました。
(楽しければそもそも疎外感を味合わないのだから話の展開上致し方ない面もありますが)

僕自身は、そういった描写に違和感を感じはしたものの基本的にはプラトニックに描いた大人のラブストーリーとしてはこれ以上ない程の上質な作品だと思います。

この記事の本題のその「違和感」についてですが、僕が思ったのはソフィア・コッポラ監督(日本滞在経験有り)が「日本が嫌いだから」というよりも日本に対する勘違いや描写法の問題があったのではないかな?と思ったので、その事について考察したいと思います。 

まず、主役の2人にしても元々から日本に悪印象を持っているわけではなくて、そもそも旅行を楽しめる様な状態ではない精神状態で訪日しています。

ボブ・ハリスは俗に言う所の「中年の危機」を迎えて妻との間に距離感を感じてきていて、実際に、ついてくるかな?と思った日本の仕事にも妻はついて来なかった事に寂しさを覚えています。

シャーロットも若くして結婚した事でこれからの結婚生活や自信のキャリアに漠然としながらも強い不安を感じています。

そんなストレス下ではそりゃあ物事を好意的に受け取ったり、今ある状況を楽しんだりする心の余裕はないはずです。

実際に、2人はお互いとの出会いによって心に余裕が生まれた事で、ボブは日本滞在を延長して依頼されていた仕事を受けてみようかなと思いましたし、シャーロットも観光してみようかなという心境の変化が生まれました。

ではそれを踏まえて具体的に違和感を感じた日本観の考察を書いていきます。

まず、CM撮影でディレクターから横柄に怒鳴りちらされてボブが不快感を覚えるというシーンです。
僕はこのシーンはかなりありえないシーンだと思っていて、何故なら日本人というのは昨今のパワハラ報道の多さからも解る通り基本的に「弱い者に強くて強い者には弱い」という国民性だからです。
だからハリウッドスターに雇用側である企業の重役ならまだしも雇われディレクター程度の役職の人間が横柄に接するという事がそもそも考えられません。
(ディレクター役のオーバーな演技も必要以上にキャラの癖が強くなっているというのか悪目立ちしていました)

ただ、これが先述の様に日本滞在経験を持つソフィア・コッポラ監督の体験談をモデルにしてるのだとしたら話は変わってきて、当時まだ有名監督ではなかった彼女が「ガイジン」の「若い女の子」という事で彼女の素性を知らない人から侮った態度を取られたというのは非常にあり得る話だと思います。
その時の「なんやこいつ」という印象だけが監督の中で強く残っていたのではないでしょうか。
(でも日本人の国民性を理解していたわけではないので違和感が残るシーンになった)

その一方でディレクターのキャラクターを要訳すると「非常に高い水準の構想を持っているようだが、説明が下手過ぎてそれが相手に伝わらない」という事なので、同じ様な理由で上司に怒りを感じた社会人の方は多いかと思います。
この点はむしろ我々日本人でも中々気付かない様な「あるある」な悪い所を如実に指摘しているわけですからその意味では中々の分析力だなと思いました。

それとディレクターとの間に齟齬が生まれたのは通訳の拙さが一因でもあります。
これは僕自身がスポーツ番組でアメリカのスポーツの監督(野球だったかな?)の話を通訳の人を通じて聞いていたジョン・カビラ氏が何度か(…?)となった後に、通訳の人を無視して自分で同事通訳しだしたのを見た事がありますし、昨今多発した海外ゲームの翻訳ミスや、誤訳等で映画ファンからの評価があまり高いとは言えない戸田奈津子女史が長年その分野の第一人者だった事からも解る通り「日本の通訳職はレベルが低い」という業界あるあるもあるのかもしれません。

次に写真撮影の時のカメラマンから「〇〇さんみたいにお願いします」と言われてボブがイラッとくるというシーンです。
これに関しては(というかこの映画で違和感を全く感じなかったのはこれくらいですが)あまり違和感を感じませんでした。
「〇〇さんみたいで」というリクエストは確かに我々も悪気なくしてしまいがちですが、例えば画家の人に「今回のウイスキーは高級さが売りなのでその点を強調し、主要な購入層は年配の男性なのでそれをモチーフにしてください」といったリクエストは有りでしょうけど、「〇〇さんって画家、最近流行ってるよね。だからああいうタッチでお願いしますわ」といった言い方をした場合は、あまりにも個性や人格を無視しており、言われた人はかなりプライドを傷付けられて(わしを評価して仕事を頼んだんちゃうんかい。そしたらそいつに頼んだらええがな)と思うはずです。

次に寺の描写です。
シャーロットが友達に電話した時にお寺に行った事を伝えるも「何も感じなかった」と伝えるシーンです。
私は意外だと思われるでしょうが、割と敬虔な方の仏教徒なのでこの描写は先述のディレクターのキャラと同じく正直ちょっとイラッとしました。
ただ、このシーンで言いたい事は非常にわかるのです。
「国」を表す物としては何よりもやはり「文化」と「宗教」だと思います。
つまり文化的に少々の違いがあったとしても「宗教」が同じであれば(逆もまたしかり)例えば異国の地でも教会に入りさえすれば自分は同じ神の元でいるのだと安心する事ができるのに日本にはそれさえないのだとさらなる疎外感を感じたシャーロットの心境を表現したシーンなのだと思います。(そういう意味ではいいシーンだとも思いました)
シャーロットはおそらくキリスト教徒だと思いますが、寺には当然、西洋の神を思わせる様な要素…キリスト的な要素は一切ないので、一神教が当たり前の国で育った彼女は宗教的な一体感も神秘性も感じられず、さらなる寂しさを味わったのです。

次はコールガールです。
熟女のコールガールが「太ももをリップしてん!」と連呼したかと思うと突然「やめてーーー!!!」と叫びながら部屋をのたうち回るという異様なシーンで、あまりの意味のわからなさに流石の僕も(ん?日本人を馬鹿にしてる?)と思って正直不快感を感じていったん視聴を辞めた程でした。
この映画で描かれているコールガールとはつまり昨今話題になり当時は横行していたであろう「性接待」というやつなのでしょうが、それなら日本人の感覚ならば熟女ではなく若い女の子を送り込むでしょうし、相手の性癖がわからない段階でいきなりそんな癖強プレイも強いないはずです。

このシーンに関しては先述の通り余りにも意味がわからないので推測でしかないのですが、まずは確かなのは後に出てくる「なんで日本人はLとRを分けて発音しないの?」という「あるあるネタ」の伏線ですよね。

それとおそらくソフィア・コッポラ監督が日本には「いやよいやよも好きの内」という概念がある事を知って(なにそれキモッ!)と感じたので、その時に感じたジェンダー的なジェネレーションギャップを表現したのではないでしょうか(日本でも昨今問題視されている概念ですし)。

ただ、若い女の子が「やめてーー!!!」言ってのたうち回るシーンは絵的にちょっとマズいので熟女にしたのではないかなと。(あるいは熟女物のAVや風俗等でフェチズムの多様性を見てビックリしたのかもしれませんが(笑)そんなのはアメリカにもいくらでもあるでしょうし)

あとは父親であるフランシス・フォード・コッポラ監督か従兄弟のニコラス・ケイジあたりから「日本でホテルのドアを開けたら知らない女の子が立っていてビックリしたよ。彼女曰く『贈り物』なんだってさ HAHAHA!」みたいな話を聞いた事があるのかもしれません。

次はしゃぶしゃぶです。
まず「違いがわからないよ」は肉と言えば部位と重さの違いしかないと思っているアメリカ人からすると日本人が持つ「産地」や「等級」といった異常なこだわりは理解できないというこの映画では珍しい自虐ネタですよね。
次にこれもかなりネットで批判を浴びているようですが、シャーロットの「最悪のランチだったわね」に対する「まさか自分で料理させられるなんてな」です。
しかし、シャーロットの「最悪のランチだったわね」は「お別れの食事会にせっかく誘ってもらったというのにツンツンした態度でごめんね」という意味であって、しゃぶしゃぶその物に対して言った言葉ではなく、それに対するボブの発言もその事を知った上で「あぁ しゃぶしゃぶの事だよな!」とあえてトボけてあげるという大人の対応なのでそのためのブラックジョークでしかなく深い意味はありません。

次にボブが当時実在した番組「Matthew's Best Hit TV」に出演するというシーンです。
これに関してはボブが「くだらない」「やっぱ出なければよかった」と感じている様子が明確に描写されているので庇いようがありません(笑)

もし、自身の出演シーンを確認するために映画を観たとしたら藤井た…マシュー南さんはその描かれ方にかなりショックを受けたのではないでしょうか。
日本のバラエティ番組に関しては人気ドラマの「スーパーナチュラル」でもネタにされているのを見た事があるので、アメリカの人からしたら日本のバラエティ番組のハイテンションなポップさは異様に映るのかもしれません。

最後に待ち合わせの場所に行くとそこがストリップバー(?)でビックリするというシーンです。
他のシーンは今まで散々言ってきた様に文化の違いや監督の勘違い等でその違和感に理由付けをする事ができるのですが、このシーンはそれすら無理な事から実は私はこのシーンが地味ながら一番ムカつきました。

そのストリップバー(?)というのは(?)という記号を付けた事からも解る通り独特な場所で、一見は普通のバーの中でトップレスのお姉ちゃんがポールダンスしているという内容です。
Xで交流がある方は知っているかと思いますが、私は大人の社交場は大好きです。
ですが、そんな私でもそんな内容の店は日本で見たことがありません。
どう見てもアメリカナイズされた内容のバーなのですから、どう考えてもこういう店はお前の国の方が多いやろ。何ビックリしてんねん。カマトトぶってんちゃうぞ!と思いました。
意図がまったくわからないのですが、それでも無理やり推測すると日本語がわからないソフィア・コッポラ監督なりスタッフが普通のバーだと思って入ってみるとそこはおっパブだった…みたいなハプニングを体験したことがあった... という可能性はあります(あるか?)。 

デ・ニーロやニコラス・ケイジといった親日で知られるハリウッドスターがいる一方で、日本の事を合わないわーと感じた人がいたとしてもそりゃあ当然ですし、そう言う私自身だって好感を感じている国があればそうではない国もあります。
先述の様にこの作品のテーマ自体が「異国で感じた疎外感」である事からも作品性として別に日本を露悪的に描いてもいいとは思うのですが、悪い所もあるけどこんないい所もある…という描き方ではなくて、悪い所ばかりをそれも無理に目立たせて描き、良い所といえば景色の綺麗さくらいしか描かれていないので(あれ?ソフィア・コッポラ監督、日本嫌いなの?)と思った人が多かったのだと思います。

私自身がどう思ったのかというとこの作品を単純に「異国の地で知り合った男女のラブストーリー」として考えた場合は素晴らしい作品だと思うだけに、先述の様な悪目立ちしている違和感を感じる描写は残念に思ったのと、正直、ソフィア・コッポラ監督が言う所の「日本大好き♡」さはまったく伝わってこなくて、たぶん日本滞在時には相当嫌な体験をしたんだろうなと思いました(笑)

ただ、シャーロットとボブの物語終盤での日本に対する感覚にはおそらくですが、差異があると思っていて、ボブは日本に対するイメージはシャーロットのお陰で少しだけ良くはなったものの依然として「合わない国」のままだろうから帰国した後はおそらく二度と来ないと思います(笑)

その一方でシャーロットは物語の後半には神社を観光してそれを美しいとさえ思える様になっているので「美しい恋愛をした国」という事で好感を持って帰国した後も近い内ではなくてもいずれまた来るかもしれないなと。なんとなくそう思いました。

そう言う意味ではシャーロットのモデルはソフィア・コッポラ監督自身である事を本人が公言しているので、シャーロットと同じくソフィア・コッポラ監督の日本への苦手意識も何度か来日する中で本当に安らいではいっているのかもしれません。

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