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田中克己『瀛涯日記』・薬師寺衞『受胎告知』
先週、田中克己先生の阿佐谷の実家に、母堂を亡くされた令息を弔問しました。路地の佇まひに懐かしさやまず、案内された書庫には、自著を始め雑誌『四季』等の資料が昔のまま遺されてをりました。お言葉に甘えて段ボール2箱分、戦後の収録雑誌を中心に借用してきましたが、これらを逐次スキャンして「著作総目録」ほかにリンクし、ネット上でみられるようにしてゆく予定です。
【2023.03.12現在公開中】
『興南新聞』『骨』『萩原朔太郎研究會會報』『バルカノン』『くれない』『不二』ほか
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なかに、戦時中南方徴用時に現地で綴られ『瀛涯日記(えいがいにっき)』と題された和綴本と、それから後輩の戦歿詩人、薬師寺衞(やくしじまもる:本名・倉田敬之助)が遺した詩集『受胎告知』を筆写したノートの発見がありました。
『瀛涯日記』は「マレー・スマトラ従征歌日記」と副題されてゐますが、内容は出征前夜から昭南島(シンガポール)を発つまでのことを歌ひ、既刊の詩歌集『南の星』の前半部の元となったもの。さらに南方へと向かふことになった際に、半ばは遺書めいた感慨を以て、和綴にして表紙を付し同僚軍属に托された一冊であったやうです。公開しました(2023.03.31)。
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一方の薬師寺衞の遺稿は、昭和13年に詩人自らが編集した詩集原稿を、田中克己が筆写したノートブックで、他の原稿類は出征時に林富士馬に托されたあと焼失したといひます(『田中克己日記』:昭和30年8月3日)。彼に『受胎告知』といふ同名タイトルの詩集があるのは何かの符合でしょうか。
薬師寺衞もまた、『コギト』時代の田中克己を慕った増田晃や大垣国司と並ぶ後輩詩人ですが、会ったことはなかったやうで、戦後、母堂から写真を示され驚いてゐます(同:昭和24年2月2日)。
結局希望された遺稿集の刊行は実現せず、うち僅かに5篇ばかりが遺影と共に『果樹園』7号(昭和31年8月)に載せられたばかりで、遺族の行方も分からなくなってゐます。できれば『四季』『コギト』に掲載された晴れがましい詩篇たちと共に、冊子として形にして遺してあげられたらと思ったのですが、無理らしく他の資料と同じくネット上に公開することにしました(2023.3.23追記 リンク公開)。
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さてこの度の上京ですが、翌朝ご高齢の長女ご夫妻を隠居先のさいたま市にお訪ねし、前回「田中克己日記」を借用に上がってから8年ぶりとなる御挨拶をさせていただきました。
近況のほか、夫君澄(きよし)様の先師であり仲人でもあった竹内好が、晩年は中国の現状について話をしなくなっていったことや、竹内門下の青年として挨拶した時の影山正治の“にこやか”な威圧感等、興味深いお話を拝聴。折角の機会を慌ただしく辞去しましたが、その足で八王子の上川霊園まで献花、墓前で田中家の亡き皆様との対面を果たすことが出来、安堵してをります。
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日記の翻刻はまだ途中ですが、現在手をつけてゐる昭和56年(保田與重郎死去の年)をひと区切りに、優先順位をひとまづ今回借用した雑誌類の整理に譲ります。『コギト』・『日本浪曼派』および関西詩壇の詩人たちに興味のある方は気長にお待ちください。