【絶対に“上達”する習慣】「ウェブしかやれないライター」だった僕が、「本も書けるライター」になれた時の話
失敗するのは怖い。
未完成なアウトプットを、他人から批判されたら……。
新しいチャレンジの先になにも見つけられなかったら……。
そう思うと、はじめの第一歩が踏み出せない。
小学1年生で「将来の夢は公務員」と言ってのけた僕は、かつてゴリゴリの慎重派だった。リスクを恐れ、できる限り新しいことを避けて生きていた。
一方、今の僕は周囲がちょっと引くくらい、絶えず新しいことに挑戦し、失敗したり、諦めたりしながら、色々なことを身につけている(他人の批判には相変わらず弱いけれど)。
なぜこんなにも行動原理が変わったのか。それは「絶対に上達する習慣」を見出したからだ。「絶対に」とか「〜の習慣」とつくものの大半は嘘であるが、こればっかりは本当だと言いきれる。なぜなら、ある意味で「実践できれば上達して当然」だからだ。
この習慣の構成要素は4つある。
一つ、模倣する。
二つ、“目”を鍛える。
三つ、実践する。
四つ、繰り返す。
これらは芸事における「守破離」、ビジネスの「PDCAサイクル」、あるいは「1万時間の法則」など、いわゆる自己啓発本に出てくるようなフレームワークや理論にも必ずと言っていいほど盛り込まれているプロセスだ。それだけ再現性の高い上達のプロセスということだ。
しかし、問題がある。この4つのプロセスは「実践できれば上達して当然」すぎてほとんどこれ以上掘り下げられない。つまり、
どう模倣すればいいのか?
どう“目”を鍛えれば良いのか?
どう実践すれば良いのか?
どれくらい繰り返せば良いのか?
といった疑問に答えてくれる先達は少ない。にもかかわらず、ここを間違えると結果につながりにくかったり、モチベーションが下がって継続できなかったりするのだから、実に意地悪だ。もっとちゃんと教えろよ。
僕は5年ほど前、権威ある文学賞の受賞歴を持ち、書籍のゴーストライティングを中心に年1,000万円以上稼ぐ、「超」がつく実力派ライターに弟子入りした。
師匠に最初に見てもらった僕の原稿は、清々しいほど赤字まみれになって返ってきて、「最低でも、ものになるまで5年はかかる」と言われた。
ところが、その10ヶ月後、僕はその師匠から「もうほとんど書籍ライターレベルだ」と言ってもらえるようになった。師匠は驚いていたが、僕も驚いていた。
これは、絶対に上達する習慣を実践したからに他ならない。しかし、そのためには、この習慣を「パーソナライズ」するプロセスが必要だった。早い話が、ともかく「続けられるように自分なりにアレンジした」のである。
1.模倣をパーソナライズする
「好きな作家の作品を書き写せ」
いきなりそんなことを言われても、正直ピンと来ないはずだ。僕だってそうだった。しかし師匠から書き写せと言われたのだから、書き写さないわけにはいかない。
そこで僕は1回で書き写せる量の適性値を探り始めた。
まずは「ページ数」でやってみた。10ページは全然ダメ。時間がかかりすぎて、仕事に支障が出た。5ページでも微妙。ちょっとしんどい。3ページならちょうど良いかも。でもなんとなく、しっくりこない。
この「なんとなく」というのが重要である。「なんとなく」にこそ、好き・嫌いが隠れている。嫌いなことは続けられない。好きだと思える程度にアレンジをする必要がある。
そこで、時間で区切ってみた。1時間は長かった。僕は筆圧が高いので、1時間も書き続けると手が疲れてしまう。では30分はどうか。ほんの少し長く感じる。では20分ならどうか。これならキツさも感じず、物足りなさもなかった。
時間で区切ると、文章の中途半端なところで終わってしまうこともあるが、それは気にしないことにした。20分のタイマーが鳴ったところで付箋を貼って、次回はそこからスタートした。
ここまでパーソナライズしたところ、それまでが嘘のように継続できるようになった。
2.「目の鍛え方」をパーソナライズする
「なんでこんなに書き写しってつまんないんだろう?」
継続できるようになってからも、僕の頭の中はこの考えでいっぱいだった。このままではマズい。つまらないことはいずれ続けたくなくなるからだ。だから、写しとる文章の中身などそっちのけで、ひたすらに「つまんない」理由を考え続けた。
導き出した結論は、「プロの文章のを見る“目”が備わっていないから」だった。
オーケストラの演奏が眠たいのも、村上隆の現代アートが意味不明なのも、結局のところそれらを鑑賞する側の“目”が貧弱だからだ。
先達たちが「目を養いなさい」というのは、一流の人たちが作品に込めている技術や想いを感じ取る力を鍛えろ、と言っているのである。
そのための方法の一つが模倣である。要はひたすら「良いもの」を真似することで、「良くないもの」を見たり、自分が生み出したりした時に「これは違う」と判断できるようになれ、というわけだ。なるほど一理ある。
しかしながら、僕は「そりゃ無茶だ」と思った。なぜって死ぬほどつまんないんだもの。“目”が10レベルまであるなら、3レベルくらいでいいから一気にレベルアップする方法はないものか。そうすれば、なんとか楽しんで続けられそうなのに。
あれこれ調べて、僕は自分なりの方法を見つけた。「プロの作家の文章を添削するプロ」の目線を盗んだのだ。
ここでは詳しい話は割愛するが『文章添削の教科書』という本を3回ほど読み込み、それと並行して書き写しを続けた。するとあれよあれよと言う間に、作家たちの技術や意図に気づくことができるようになったのだ。
句読点の打ち方
言葉の選び方
接続詞の使い方
語順の組み立て方
場面展開の仕方 など
作家が作品に組み込んだテクニックが見えるようになると、書き写しはものすごくエキサイティングな時間になる。そうなればしめたもの。ガンガン書き写しをして、ドンドン“目”を鍛えていくことができる。
3.実践をパーソナライズする
「ひたすら真似をしろ」の次に授けられる教えは「ひたすら書け」である。
僕にとってはこれもまた苦行だった。なにしろ、模倣し、目を鍛えてしまったおかげで、自分の文章のアラも嫌と言うほど見えてくる。書けば書くほど自己嫌悪。自分の文章なんて全部ゴミ。にもかかわらず、師匠は「いいからやれ」と言う。ひどい。鬼か。
僕はここでも思い切りハードルを下げた。「仕事以外で、1週間に1本800字の文章を書く」と決め、本当にそれだけを実践した。
可能な限り質にはこだわるけれど、時間や余裕がなければ最初に書き上げたものをそのまま完成ということにした。
もちろん「毎日1,000字以上書く」「すべての文章を推敲する」といったルールにすれば、ものすごいスピードで上達しただろう。しかしそれではおそらく最初の1週間で燃え尽きて、以降は書かなくなる。
文章力は筋肉である。どんなに分厚い筋肉も、トレーニングをやめてしまえば衰える。文章力も書かなくなれば衰える。短距離ダッシュをキメて息切れするのではなく、自分に合った速度をしっかりと見極めて、無理なく長く走り続けることの方が大切なのである。
4.繰り返し方をパーソナライズする
模倣し、目を鍛え、実践する。そしてまた模倣し、目を鍛え……。上達への最短ルートはこのサイクルを習慣にすることである。すると3つのステップの間に相乗効果が生まれ、少しずつ少しずつ、“何か”が積み上がっていく。
しかし上達のスピードには個人差がある。そして個人の中でも停滞期と成長期が割と頻繁に訪れるので、「もう伸びないんじゃないか」と不安になったり、「自分には才能がないんだ」とか言って逃げを打ったりする。シンプルに飽きが来る可能性もある。
それで構わない。1〜3のうちどれか一つだけやっているのでもいい。「ちょっと疲れたから」といったん全てを中断してしまってもいい。またやる気が出てきたら、もう一度始めればいいのだ。
1回やれば、そのぶんだけ伸びる。10回やれば、そのぶんだけ伸びる。ただそれだけのことである。だから断続的にでも続けていれば、完全にやめてしまうよりは確実に上達できる。
自分なりのペースで、自分なりのタイミングで、繰り返すようにすれば、大丈夫。絶対に上達し続けることができる。「やらないより、やる方が百億倍マシ」。これが合言葉だ。
僕は3年半前に仕事の必要に迫られて写真を始めたのだけれど、この分野でも同じ方法を習慣化して上達することができた。
当初、芸術全般にロクに触れてこなかった僕が撮る写真は悲惨な出来だった。しかしやはり10ヶ月ほど経った頃、知り合いを通じて「信頼できるカメラマンが、お前の写真をすごく褒めていたよ」という話を聞くようになったのだ。
人によったら「地味すぎてやる気が出ない」「馬鹿馬鹿しい。もっと効率の良いやり方があるはずだ」と思うだろう。
残念ながら、この「絶対に上達する習慣」には向き不向きがある。
以前クライアントに頼まれて預かっていた若いライターに同じ方法をレクチャーしたのだが、全く受け入れてもらえなかった。ライター歴10年の仲間に勧めてみたが、呆れた顔で「俺は止めておくよ」と言われてしまった。
逆に言えば、これを読んで「なるほど、やってみよう!」と思えたり、「面白そうだな」と思ったりした人には、きっと適性がある。おめでとう。あなたはもう上達への指定券を手に入れたようなものだ。
今回紹介したパーソナライズの例は、あくまで僕なりの答えでしかない。大切なのはあなた自身の答えを出すことだ。
ぜひ「模倣」「 “目”のトレーニング」「実践」「繰り返し」の4つの要素をベースにして、自分だけの道を見つけ、習慣にして欲しい。きっと今あなたが始めようと思っていることに役立つはずだ。
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