内なる声
自分の内なる声は何なんだろう?
ものを書くときに、いつも想う。そして、自分の中には何の声もない、ということに気付き、幻滅してしまう。
いい文学作品に触れると、非常にインスピレーションを刺激される。作品の中に秘められた作者の内なる声に感銘を受け、その深みと強さに圧倒されてしまう。
最近読んだ、グレイス・ペイリーの作品のもつ圧倒的な感性と、そこにしまい込まれた激しい声にはとても深く強い力を感じた。
グレイス・ペイリーのような文体を書きたい、と思ってもとても書けるものではない。当たり前である。
ぼくには彼女のような信念もなければ、環境の中で得てきたものもまるで違うのだ。内なる声は、深い人生と思考の中で得、そして育まれるものなのだ。
そうは思いつつも、彼女ならどのように書くだろうか? などと思いながらものを書いてみる。
そうやって書き出してみても、気が付くとまるで別のものになっていく。別の声に操られるように。
自分はなんと薄っぺらな人間なのか、とうなだれる一方で、もしかしたら、これがぼくの中の声(ペラペラでフワフワだとしても)なのだろうか、とふと考える。 無意識に存在する内なる声がぼくの文体を操っているのかもしれない。
空っぽのように思えても、ぎゅうぎゅうと絞り上げれば、ぼくにも内なる声というものが出てくるのか?
その声を、耳を澄まして聴きつづけ、そして磨き上げていけば、そのうち何かが浮かび上がってくるのだろうか。
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