一年に一度、遠く離れた人を想う
年末、うちには年賀状を書くという作業が待っている。
最近は、メールやラインなどで済ます人も増えてきているだろうが、まだまだ年賀状を送る家庭も多いだろう。
正直、年末の忙しい時に年賀状を書くのは面倒くさいのだが、それでも書いてみると、それはそれなりにいろいろ感じることがあるものだのだ。
年末ぎりぎりになってあわてて書き出すわけだが、まず誰に出そうかと考え、その人のことを思い出しながら宛名を書く。
書きながら、長らく会っていなかった友人や、親戚のことを思い出すのだ。思うだけで、私の想いが彼ら彼女らに近づいていき、記憶がよみがえってくるのである。
友人の顔を思い出し、元気にやっているのだろうかと思う。また会いたいな、と思う。
田舎の親戚を久しぶりに思い出し、おじさん、おばさんの顔、子どものころの、田舎で過ごした思い出にあらためて触れる。
それだけでも、年賀状を書く意味はあるように思う。
現在を生きていて、仕事や日常に追われ、なかなか過去を振り向かなくなっている毎日。
心の振り子が、片方にだけ振れて止まっているような状態だ。
これまでの自分の人間関係や、自分を形成してきた思い出に触れることは、片方に振り切っていた振り子を、もう一度反対側に振り戻すようなものなのかもしれない。
そして、そうやって振り戻された振り子は、再び大きく動き出すのだ。
年賀状を書きながら、友を想い、家族を想い、遠い親戚を想うことでそんなことを考えた。
彼らを想うことで、忘れていた自分を見つめなおすことにもなるのだ。
年賀状のような習慣は、平安時代にはすでにあったらしい。遠くて会うことのできない知人に年始の挨拶をするために、手紙を送っていたらしい。
現在のハガキで一斉に送るスタイルになったのは、明治4年の郵便制度が開始されたことがきっかけになったようだ。
そして今はメール、ラインの時代、今後どう変わっていくのだろうか。
年賀状の裏には、ちょっとしたメッセージを書く。
また会おう、とか、元気にしてますか? とか、ひと言だけであったとしても、書く時には必ず相手のことを想っているものだ。
そして年始にはやっぱり、ポストに年賀状が配達されるのを楽しみにしているのだ。
友人からの年賀状には、やはり簡単ながら、何かひと言が添えられている。
それだけでうれしい気持ちになれるのだな。
将来、形が変わって、電子の年賀状になったとしても、送る方、送られる方の気持ちはきっと変わらないだろう。
人の想いが続く限り。