1日の労働時間はどれくらいが適正なのか
1日の労働時間は8時間。
仕事の種類にもよるだろうけれど、一般的には8時間程度と考えられているだろう。
労働基準法第32条には、
「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。」
「使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。」
とある。(もちろん時間外労働の規定もあるけれど)この規定は上限を定めているわけであって、そこまで働かなくてはいけない、ということではないんだよね。でも、今の大半は8時間労働が常識としているように思う。(進歩的な企業では働き方について見直されているかもしれないが)
ぼくたちの仕事というものは、昔に比べてなぜか格段に量が増えてきているように感じる。いや、実際そうなのだ。
機械が人間の仕事を肩代わりできる時代になって、人間がしなければならない仕事は減ったにもかかわらず、なぜか仕事の量は減るどころか、増える一方だ。
デヴィッド・グレーバー氏著の「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」によれば、人間は、やってもやらなくてもいい仕事をどんどん作りだしてきている、という。それを彼は、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)と呼んでいる。インパクトがあって、素晴らしいネーミングだと思うところだ。(まだほんの入り口しか読んでないんだが)
実際ぼく自身も、働きながら無駄なことをやっているなぁ、と思うことが非常に多い。そして、それに気づいている人も多いと思う。
このシステムって、もしかしたら一日8時間働かせるために、わざわざ仕事を作っているということなのだろうか、と考えてしまうのだ。
言い方を換えれば、
ーー8時間あるのだから、このボリュームの仕事くらいできるよね~
と、今までやってなかった仕事が(例えば統計や資料作成など)新たに与えられていることもあるのではないか、と。
好きで働いている人もいるだろうが、ほとんどの勤め人にとっては、仕事の大半が「やりたくないがやっている」という思いなのではないだろうか。
もちろんぼくもそうである。1日8時間(たいていの場合は8時間以上)、月曜~金曜まで働くということは、人生のほとんどを仕事に奉仕するということだし、その仕事の大半が「やりたくないことであり、かつやる必要がないもの」だとすれば、自分は人生の大半の時間をいったい何のために費やしているんだろう、となるのも当然の流れだ。
これからはAI技術も進んでくるし、働き方はもっと変わってくるだろう。人の生き方も変わってくるはずだ。ぼくは、もっと自分の時間を大切にした方がいいと考えている。
8時間労働がベースとなれば、いくらAIが進歩しても、新たな(無駄な)仕事がどんどん生み出されていきかねない、と思う。
8時間という概念は、もうそろそろ変えるべきなんじゃないかな~
なんて、ぐうたらなぼくは考えるのである。
読んでいただいて、とてもうれしいです!