世界を変える可能性は誰にでもある
先日眼科の定期検診に行って驚いたことがあった。
ぼくは定期的に(だいだい3ヶ月おきくらいに)眼科に通っていて、眼圧をチェックして、目薬をもらっているんだが、
そのときに眼圧を計る機械がそれまでと変わっていたのだ。
これまでは、台の上に置いてあるやや大きめの機械で計っていて、機械のサイズは、小型犬が行儀よくお座りをしているくらいの大きさだった。
しかし、こないだは、それが格段に小さくなってたのだ。
コロナの絡みでできるだけ接触の少ない機器で計測するという意図もあるのかもしれないが、手の平サイズのものになっていて、例えるならスパナのような感じで、それを目の前にかざして、光をあてて計る仕組みのようだ。
非接触で、非常に簡単に測定できる。
単純に、技術の進歩はすさまじいものだな、と思った。
10年前から今にタイムスリップしてきた人がいたら、今の世界にきっと驚くことだろうな。
それくらい変化の速度は加速度的に上がっていると思う。
IT技術しかりスマートフォンしかり、車のデザインや機能などにしても、ここ数年で目を見張るような進歩をとげている。
でも、考えてみると、その変化も決して自動的になったものではなくて、どこかの誰かが関わって、世の中を実際に変えてきているのだ。
そして、何も技術のないぼくは、その誰かが努力して変えてきたものを、ただひたすら享受するだけなのか。
答えは否、だなと思い至った。
変化というものはなにもデザインやサイズ、機能といった目に見えるものばかりではないのだ。
人々の考え方も常に変化している。
差別に関する意識や、環境に対する意識なども昔と今では大きく変わってきている。
グローバル化も手伝って、そのような意識が世界中に広がるスピードもかつてない程に速い。
SNSというツールもある。
その中で、ぼくができることもあるはずだ。
例えば差別に対して、意見を言うことや、差別的な発言や行動をしないようにする事だけでも、意義のあることだと思う。
それをみたり聞いたりする人へ影響を与えることができる。
変化はただ受け入れるだけではないのだ。
たとえ微力であったとしても、自らの行動によって世の中に--あるいは隣人に--影響を与えることはできるし、それが結果的には大きなウェーブになって世の中を変える力に、きっとつながっていく。
世界を変える可能性は誰にでもあるのだ。