それを口にしたら…戦争だろうがっ…
Twitterでは文字数的にきっつーなのでnoteで書く事にした。2022年3月27日、ロサンゼルスでのアカデミー賞授賞式にて俳優ウィル・スミスが長編ドキュメンタリー部門のプレゼンターをしていたコメディアンのクリス・ロックを平手打ちした事件が各所を賑わせている。私は軽くジャブのつもりで「平手打ち1回くらいなんだ!今まで彼が何回世界を救ったと思っている!」ってツイートしたら見事に滑った。そのツイートは黙って消した。
話を戻そう。世論は賛否両論のようである。国によって擁護の比率が変わるとか、学歴や所得によっても変わるだとか、そういう話もあるようだがそんな事はどうでも良い。私は平々凡々とした日本人であり、その事実に胸を張れる程度の自己肯定感は持ち合わせている。故に意見は変わらない。ウィル・スミスは悪い。だが、彼を怒らせるような事を言ったコメディアンもこれまた悪いのだ。そもそも世間の取り上げ方や報道の仕方が最初からズレている。これは二項対立にして良い話ではないだろう。「どっちが悪いと思う?」という話に持っていく事自体がオカシイのである。
誰にだって「譲れない一線」というモノがあるハズだ。そこを侵す者が現れれば放っておく事は出来ないという一線が。今回の事件は安易にそこを踏み越えるような行為をしたコメディアンに原因がある。それに対してウィル・スミスはあろうことか暴力を用いて対処してしまった。彼にも葛藤があっただろう。「俺の妻が馬鹿にされてんのにクリス・ロックに日和ってる奴いる? いねぇよなぁ!?」ってな感じに。恐らくこれで罰せられるとしても仕方がないと覚悟の上での行動だったのではないか。ただ、我を忘れる程に激高していたのなら平手打ちでは済まなかっただろうからコメディアンは不幸中の幸いだったと言えるし、ウィル・スミスも世間が糾弾する程の暴君ではないのだろう。今回の件を教訓に我々は心に刻まなくてはならない。誰かの一線を踏み越える時は、それこそ命懸けだと言う事を。
世の中には善良な人が多い。世界的に見ても治安が良いと言われる日本では殊更そうだと言えるだろう。そんな善良な人々にも各々譲れない一線があるワケで、そこを侵すような事をすれば即刻戦いの火蓋が切られてしまっても文句は言えない。そういう認識を持って生きていくべきなのだ。社会がいくら「暴力は罪である」と刷り込んだとしても、何をしても暴力の被害に遭う事はないという安全保障がなされたワケではない。どうも世間には平和ボケしているのか何なのか平気で他人様を舐め腐った行動を取っている人が多すぎると思う。「私がガンジー並みに温厚な人間だから良いものの、そうでなければ既にぶん殴っているところだぞ!」と言いたくなるようなクズ。そういうクズに3日に一度は遭遇するのだから。
暴力はいけない。それは間違いない事なのだが、時と場合によっては「たとえ死刑になったとしてもコイツだけは絶対に許せない!」という狂気めいた心境に陥ってしまう事態があるかも知れないし、残念ながらそういう心境に陥りやすいヤベェ奴を容易く見分ける方法はない。となれば、他人様の譲れない一線を踏み越えるような事がないように細心の注意を払って生活するのがベターであろう。要するに他者に対する思い遣りを持って生活する事。俗にいうヘビーランス。そういう重い槍がありさえすれば良くも悪くもここまでアカデミー賞が衆目を集める事もなかったハズである。「それでも暴力はダメ!無条件にダメ!どんな理由があったとしてもダメ!暴力を振るった時点で10対0で暴力を振った側が悪いの!キィー!」という尖った意見をお持ちの方が居るのであれば、授業態度が良くないという理由だけで私の顔面をグーで殴って前歯を欠けさせた教師を今すぐ罰していただきたい。あの水換えを怠ったザリガニの水槽みたいな口臭をしていたバスケ部顧問の国語教師…今でも許してないからな!
ところでウィル・スミスの右手は…石を殴って大丈夫だったのだろうか?
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