LIFE SHIFTへの反論。100年生きるべきだと鵜呑みにしていないか?
LIFE SHIFTという本が発売され、人間の寿命は100歳を超える時代が来るため今から備えなければならない、という話が広く普及してきた気がする。
本の中での話を自分なりに解釈して、まとめるとざっくりこんな感じだ。
今までは高度経済成長に乗って、定年まで同じ会社で働き、年金をもらって老後を送り70~80才で死ぬ。給与は上がり続けたし、人口も増えてたから年金の負担も耐えられた。しかも医療もまだ発達してなかったからそこまで寿命も長くない。
だが、これからの時代は企業の寿命は短くなり、1社に長く勤める時代も終わり、平均寿命が伸びているから定年退職を65才で迎えたところであと35年ほど余暇ができる。これは従来の10~20年ほどの余生とは異なり確実に持て余し、年金の保証もなく、お金の心配も大いに出てくるだろう。
だからこそ、100年生きるために不確実な人生の中で常に挑戦し続け、無形資産と言える友人やスキルなどの新しい蓄えをするべきだ、と。
これから起こる時代の変化としてはたしかに当てはまることも多いだろうなとは思う。が、個人的にはこの本に対して根本的な疑問がある。
そもそも、100年も長い時間を生きることが必要なのか、本当に幸せなのか?
こんなことを書くと、色んな人から痛烈に叩かれるかもしれないけれど、どうにも100年も生きたい理由がわからない。そもそも、大多数の人にとって100年も生きるだけのお金(衣食住と言い換えてもいい)を確保するのは無理だと思う。
例えば、家あり・年400万円で100才まで細々と生活するとしても、65才の定年から100才まで35年分x400 = 1億4000万円が必要になる。まあ奇跡的に今のように年金が150~250万円/年くらいもらえたとしても5000~7000万円は貯金が必要になる。
そんなに持ってる方が一体日本全体の何%いるんだろうか...?
もちろん、技術が発展してほとんどロボットが労働を賄い、生きるためのコストが今の10分の1とかそういうレベルになればこんな計算はゴミになるわけだが、、、不確実な未来にそこまでの保証があるとは言えない。
しかも上の計算は「年金が今と同じ水準でもらえる」と仮定した場合の話であって正直年金なんて破綻して0円になってもおかしくないと思ってる。
そんな世界でみんなが100年まで生きるのは無理だと思う。
これはまず100年生きるのが可能かどうかの話だが、もう一つは100年も本当に生きたいのか?という疑問がある。
こっちも医療技術が進歩すれば、若い体を保てる時代が来るかもしれないが、今の医療技術だと老いは止められないから出来ることはドンドン減っていくし大抵の経験は積んでしまっているから刺激は減っていく。生きるだけはできたとしても、95才と100才で5年間長生きして何かが変わるのだろうか?(もちろん、そうでない人もいることは承知している。)
これはみんな早く死ねばいい、と言いたいわけじゃなくて、次の時代はおそらく「自分で死を選択する自由」が到来するんじゃないかと考えている。
75才までお金の心配もせず、まだ体も自由に動くうちに生を満喫するか、100才までギリギリ切り詰めながら動けなくなる体をひきづって病院で過ごすか、どっちがいいか?
こう言うことを言うと、何をまたバカなことを笑、と思う方も多いかもしれない。が、ちょっとだけ考えてみてほしい。
つい2~300年前までは、氏名・職業の自由はなく、身分制度があり、男女で生き方がおよそ決められている、それが当たり前の時代だった。それが今やいつ・どこでも働き・自由な名を名乗り(苗字はまだ不十分だけど)暮らしていくことができる。海外に旅行もできるし、転職もできる、結婚しないこともできるし、相当自由になっている。
そうやって色んな自由を享受して満ち足りていくと、そのうち「死の自由」が正当で当たり前の権利になる時代も来るのかもなぁと思う。
LIFE SHIFTを読んだり、考えたことある人にはぜひ投げかけてみたい。「100才まで生きなきゃいけない」と言う前提を鵜呑みにしていないか」と。
別に100才まで生きたければそうすればいいけれど、まず100才まで本当に生きたいのか?を少し考えてみてはどうだろう。生きることはあまりにも当たり前に必要で、義務であることのように思えるけれど、果たして長く長く生きるだけが本当に自分を幸せにするのだろうか?
僕はもうちょっと短いくらいの方が、元気で幸せな人生を送れるような気がしている。
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