人生でやりたい事がわからない人へ
前回のノート「ただ何となく過ごしている人へ」の続き
人生で「やりたいことは特にない、あったほうが良いかもしれないけれど、見つけ方がよくわからない」と言う人はちょっとだけ見ていってほしい。
色んな人におんなじ質問をして、その人がどういう性格・考えをしていて普段何をしているか、をずーっと尋ね続けて気づいた事がある。
それは、「やりたい事がわからない人は、そもそも何もやった事がないから判断できない」ことが多いという事だ。もう少し日常的な事例に置き換えるとたとえば「趣味が全くない人」はこのケースである事が多い。
絵を描く、音楽をやる、誰か著名な人の話をきく、本を読む、海外に旅行する、お芝居をみる、美味しいご飯を食べる、何か習い事をしてみる、、、
世の中には色んな趣味が存在していて、今の時代その気になればほとんどのものができるだけの環境にある。だけど、そもそもそれをやって楽しいかどうかは本質的にやってみなければ分からない事が多い。
野球観戦だけしかやった事ない人は、マウンドに立ってボールを投げる緊張感や、一振りで勝負が決まる高揚感を想像するのはちょっと難しい。また、エアコンのある部屋でビールを飲みながらTVでしか観戦してない人には、スタジアムが熱気に震え、盛り上がるあの興奮を理解することは難しい。
趣味や野球で例えると至極カンタンな事に思えるけれど、これを人生のやりたい事に当てはめて動いている人は本当に少ない。どんな人生を送りたいのか、は色んな事を試してみないと分からない。(ごく稀にすっと決められる人もいるが)
もう一つは色んな事をアクティブにしていようとも「本当に本当に人生のやる事に関心がない場合」もある。
たとえば、几帳面ではない人にとっては、「机の上にスマホエアコン・TVのリモコン、スマホをどんな風に並べておきたいか?」と言う質問は、ほとんど意味がない。なぜならそういう人の答えは「どうでも良い。適当に置く」というものだからだ。
多分これと同じように「人生のやりたい事」はどうでも良い、と言う人がいるのもきっと事実なんだろうなと思う。
ここでそうそう!そうなんだよ!と思った方も多いかもしれない。が、その場合には一つだけ問わせてほしい。
「今の人生は楽しい。満足している。と心の底から言えますか?」と。
もし、この質問に即答できるのであればそれは大丈夫だと思う。何故ならばそこまで言い切れる人は、「人生の目的はいらない」と言う目的を持っているに等しいので、別に本当に悩む必要のないもの、猫に小判的な問いかけなのだ。(こんな文章を読ませてしまって申し訳ない。)
そうでないならば、ちょっと考えてみても良いかもしれない。
それはただ単に「それほど苦痛はなく生きている」だけかもしれない。苦労せずにラクに生きられるのと、人生が楽しいのは似ているようでちょっと違う。前者はマイナスなポイントがないだけ、後者はマイナスな苦痛はあったとしてもプラスになる楽しさ・充実感がなきゃなれない。
もちろん人生は自分のものだから自由にすれば良いし、誰かに指図をされるものではない。
ただもしこの記事を読んでちょこっとだけ迷ったなら、「まずはやってからやりたいかを考えてみる」、と言うことをオススメする。
「やってみる」にも程度はあるので情報を集める・体験してみる・本格的にやってみるなど労力も千差万別だ。人間長く生きてると腰も重たくもなってくる。そんな時は「ちょっとだけ調べてみる」という小さな一歩を踏み出してみてはどうだろう。
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