![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88190193/rectangle_large_type_2_9fd547d94bc6d7158e36fd9a5ab66940.png?width=1200)
この忙しい世界と、おさらばしたい。
初めに言っておくけど、死にたいわけではない。
僕にはいろんな夢があって、今死んだら後悔しかないから死にたくなんかないけど、この忙しくて、やかましい世界とはおさらばしたいなと考えている。まあ簡単に言ったら、「ゆっくり生きたい」ということ。
僕は今お好み焼き屋で働いているのだけど、月に100万円以上売り上げがある。それはめちゃくちゃすごいことで、僕らの人件費、材料費を払っても、手元にお金が残るくらいはある。でもなぜか、「もっと忙しくしないといけない」「もっと稼がないといけない」「もっと施設を盛り上げないといけない」といったもっと精神が漂っている。
新メニューを開発して、お客さんを呼ばないと。じゃない。
僕はずっと、メニューは減らす。とにかくお好み焼きと焼きそばだけ。増やさない。軸がぶれる。しか考えていない。
でも大丈夫。常連さんは変わらず来てくれる。新客は勝手に来てくれる。大事なのはその人に次も来てもらうにはを考えることだと思う。
新客をどんどん呼び込むと、確かに売り上げは上がるかもしれない。でもそこで売り上げが上がったところで、従業員のことは見えなくなることの方が多い。会社の売上が多ければいいという考え方のもとでは働けない。
僕は働いている人のことを大切に思える、会社が最強だと思う。そこが年商100万円だとしてもだ。
なぜ、この世界はもっとを求めてしまうのだろうか。
僕は死なないならそれでいいんじゃないかと思ってしまう。
僕はずっとフリーターとして生きているからこそ、言えることだけど、正社員にならなくても死なない。ボーナスもなければ、給料も多くはない。でも普通にストレスなく働いて、年金も健康保険も払っているし、恋人の元に会いに行けるお金もある。何1つ不自由はない。
なんで、嫌なことを続けてしまうのだろうか。それはきっともっと稼がなければいけない。とか、もっと人よりも仕事しなくてはいけない。と言った、呪文を小さな時から大学を卒業するまでに、少しずつ積み重なった何かなんじゃないかと思っている。
お金がないと生きてはいけない。食ってはいけない。というのは正しいとおもう。お金がないと食えないし、暮らせないから。でもどれだけあれば生きていけるかをみんな知らない気がする。
例えば僕は月に15万円あれば、余裕で生きていける。欲しいものは買えないかもしれないけど、それは3日もすれば欲しいと思わなくなるし、コーヒーが飲めて、恋人と毎日一緒に家で暮らして、たまに地元に帰って家族や友人をあえたらそれでいいんだけど、、、。
僕は譲れないことがあって、それは毎日楽しく生きたいということ。今できているかはわからんけど、将来は絶対に叶えてみせる。それが未来の店づくりです。
楽しく生きるためには、僕は大好きな人と過ごすこと。毎月家族を養っていけるほどのお金を稼ぐこと。そして家族のために仕事をすること。だ
そんなに難しいことはない。赤字を出さなければ、店は継続できる。大好きな人と一緒にもいられる。そしてやってみたいと思っている仕事ができる。それで十分じゃないだろうか。
忙しい世界はいつまでも続くはずだ。資本主義お金がなんぼの世界から早く抜け出して、最低限を繰り返して、最高の毎日にしたい。そしてこれはできると信じている。
忙しくしたいなんて思えない。家族が幸せになってもらえたらそれでいいし、僕もそれで幸せになれるからそれでいい。十分だ。
今お付き合いしてくれている恋人とは、将来も一緒にいたいと考えている。でもそのためには、世間から見られた「その男は安定しているのか?」と言った鬼門をクリアしないといけないのかなとも思ってしまう。
おそらく世間から見た「安定」には程遠い。それは店を作ってもそう思われるかもしれない。ただ絶対の自信は仕事で病まないこと。辞めたいと思わないこと。そして家族が幸せに生きられる稼ぎがあること。それだけは何がなんでも頑張る。責任重大だ。
その男は毎日幸せに仕事をしていて、家族のことを大切に想い、楽しそうだ。が門だったらな。やはり思ってしまう。だから店づくり。
だから店を作っても、忙しいなんて言葉は言いたくないし、嫌だからやめたいとも言わない。これは僕が。そしてこんな僕のことを密かに見守ってくれている恋人の人生のためにも、責任がある。好きなことをしてヘラヘラ暮らす自由ではなく、家族。人生。を充実させるための、自由への責任を今日も全うするだけ。
楽しいならそれが一番の幸せなんじゃなかろうか。