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僕の構成要素の一つについて

7日目として。

何かに見られているようなものをうっすらと感じている。なにか精神の不調というわけではない。ただ、ふと気がつくと「それ」が僕をじっと見ている。どこに「それ」がいるのかはわからない。トイレの狭い個室にまでは入ってこないみたいだが、その扉の少し離れたところにそれは息を潜めている。図書館の本棚の向こう側にひょっと覗かせている時もある。まるで僕に見つけて欲しいみたいに。だけど決して、僕はそれを見つけることができない。「それ」がいることの確かな証拠はいつも手に入らない。でも、なぜかと理由を説明することはできないのだが、僕は「それ」が確実にいることを予感している。

僕はそれを見たことはない。僕が振り返るといつも消えてしまうのだ。しかし歩いていてピッタリとついてくる影のようにそれはいつもついてくる。なんとなく、それはヒトの形をしていない気がする。僕はそれは黒いものであるような気がする。しかしそれは色彩としての黒ではなく、印象としての黒なのだ。むしろ「それ」の方がほんとうの黒なのだと思う。「それ」はときどき、僕を確実に見ている。

だから僕は何かをする時、そいつに聞こえるようにしなくてはならない。間違ってそいつが僕の前に姿を表してしまったら、僕も「それ」もお互いの存在を維持することができなくなるからだ。今日も、そろそろ行くかな、と必要以上に(そう、僕はいつも必要以上なのだ、)大きくため息をついた。そいつがモゾモゾと動いているような気がする。そのことを感じると、僕は少し嬉しくなって、どこかに行くのをやめてしまった。そして「それ」の様子を伺ってみた。「それ」はしばらく戻ってこないようだった。僕は少し寂しいような気もして、「それ」の戻ってくるのを待つことにした。その間、空でもみて待っていた。しかしなかなか戻ってこなかった。「それ」は僕がそのことをすっかり忘れた頃には元通りの場所にいた。そういうやつである。

「それ」について思うことは他にもある。「それ」と目があってはいけないということもその一つだ。「それ」は大きな目をこちらに向けて、その瞬間を今か今かと待ち続けていることもある。「それ」が今にも角の向こうから僕めがけて飛び込んできるかもしれない。「それ」とは一体なんなのであろうか、いずれ明かさなくてはならないものであることもなんとなくわかっている。

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