
尊大な卑屈
小さい頃から本をよく読んでいた。次にとる本、その次の本まで決めて、それを早く消化したいのになかなか目が進まなくて、ワクワクしながらヒヤヒヤしていた。とにかく怖いことだらけだった。それは知らないからだと思っていた。
背伸びをしたかった。早く成長したかった。怖いことを怖くしたかった。知らない言葉、読めない漢字があればあるほど嬉しかった。字の小さい辞書を引いて付箋だらけにした。
死は何よりも恐怖だった。自分が死ぬことも、周りの人がいなくなるのもとても怖かった。近親者の死を迎える前に小説の中で死んで欲しくない人が死んでいった。どんな病気より、ガンが怖かった。終末期医療を選択する人ほど僕は死なないことにしがみついていた。
性に関することを知ったのも小説からだった。とんでもない引力で惹かれ、知らない世界にどんどん引き込まれていった。大概男は余計な欲を抱き、情けなく描かれていた。
僕が小説を読んでいたのは、これから起こるだろうすべての出来事を小説の中で先に体験しておきたかったのかもしれない。初めてする体験を間違いのない感情で迎えたかった。小説を読むことで、正しさを身につけることができると思っていた。
恐怖や生、そして性を中心とした読書はだんだんと割合を減らしていったが、それと同時に、他人の気持ちやその場の状況に対して鈍感になっていった。それは、「オレが見たカンジはこうなんだから、こうするのが正しい、みんなも今は気がつかなくてもいずれ分かる」と即断するようになっていたから。他の人を差し置いてしまっていたが、それは早く答えが出てしまっていたからだ。小学生は児童の成長が生年月日に影響しやすく、4月生まれの僕は典型的な早熟だった。
小学生等身大であることができなかった僕は、小学生ながら小学生を見下していた。それは自分の未熟さに向けた視線でありながらも、クラスメイト一般を見下すことでもあった。イヤなヤツだった。結果ハブかれた。自分の世界の土台がすべて崩れ去った。こんなにももろく、そして彼らに依っていたものであることを知らなかった。
男子校の中高一貫校に通った。みな均一で、同質で、心地よかった。目立つようなことは避け、失敗しないように心がけた。一人称は俺だった。本はだんだんと読まなくなっていった。先生の言うこと、あるいは先生という存在が一種本の役割を果たした。大人というだけで、その存在や発言に真実味があるように思えていた。大人への恐怖と憧れ。早く大人になりたかった。頑張ってもなかなか一位になることはなかった。自分は天才ではなかったと思うことにした。自分は劣っていると思うまでになった。制服は未熟な証であった。理系に進んだ人を理系に進んだということだけですごいな、と思うようになった。自分の劣等感が無条件に尊敬する対象を欲していて、そこに合致したような感じ。図書館でブラックジャックを読んで医者に憧れていたことは見ないようにしていた。
浪人の末大学に入った。浪人の一年は僕の中で僕の神話を壊すのには十分だった。僕は劣っている。なにもできない。そして情けない男性であることは変わらなかった。大学に入っても劣等感は消えなかった。むしろなにもできなく、なにも突出したことがないつまらないニンゲンだと思うようになった。ただ育った家から出たかっただけ。ひとり列車の旅に出ても自分以上の感想は出てこなかった。ネットで見る言説を、その人が書くように捉えられないことは、僕が至らないからであった。ありえないあだ名をもらって、それが自分とはかけ離れているのがとても居心地が良くて自称するようになった。とっくに大人になっていて、まだまだ子どものままであった。世にある男性性に対する非難を受け入れ、男性性を憎んだ。そして僕はまったき男性であった。僕のものではない非難を受け入れることで僕は自分を下に、掃き溜めの底に沈めていった。
就活で自己分析をするようになった。特徴と言っても、別に大したことはないし、大学の名前でどこか引っかからないか願うばかりだった。自分に起きた出来事を関連づけて、理路整然と話す感じがとても嘘くさく感じられた。話せば話すほど嘘になっていった。でもどうでもよかった。僕を理解してもらえないことを僕は好んでいた。僕は僕も知らない。それでよかった。
見せかけの優しさは大学以降身につけてよく言われるようになった。でも本来の僕は優しくなんかなかった。何かに畏怖し、己への強烈な否定と使命感を抱かされている(理由はわからない)だけでの子どもである。その正体は限りない自己否定と他者への無条件の信仰でしかない。正しさは僕の方にはなかった。正しさを確かめられるのは他人の中にしかなかった。正しくあるとき僕は1人では不可能だっただけであった。
いつのまにか、自分にとって自分は重要事ではなくなってしまっていた。幸運なことにパートナーがあるおかげで、夜、恐怖に1人で対処し続けなければならないということはしないですみそうであるのが唯一の救いだと思う。
自分の方法で、自分が望むような自分の核を取り戻さないといけないなと思った。これがその出発点であるように願って。しかしこれすらも僕の本質に全く迫っていないし、取るに足らないはずの自分にばっかり視線を向けた話で、理解してもらおうと必死に懇願して、でも僕でさえ全く意味がわからない話になっている。
2025/01/10 雪のふる図書館で書いてたら悲しくなって昼を過ぎているのにビッグマックセットを掻き込んだ。ビッグマックセットが好きなこと、いつもセットにするのは野菜生活であること、これだけは確かであることがはっきりしている