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五日目も
本来、明日のことは全くわからなかったのだと思います。明日も本当に同じ日が登るのか、心配であったのではないでしょうか。あしたまた会おうね、なんてすごい言葉だったのではないかとも感じてしまうのです。日が上り、夜が明ける。ここにはただひたすら純粋な感動があったのではないかと思うのです。いえ、そもそもあした、というのは来るとわかっているから初めてわかる概念なのです。何かが繰り返している、ということにしなければ、今日と同じ明日、というのはわからないものなのです。どこかで区切ってしまって、その永遠の繰り返し、そう捉え直す。このことでいずれ明けると安心することができたのでしょう。闇を克服しようとしたのです。しかし、ほんとうは、そうではない、そう気がついてしまいました。(突然の、世界の真理に気がついてしまった顔)
どんなに堅固に思われたその世界も、もろく、壊れやすい日常にしか基づかないのです。無自覚に、永遠に続く明日を受け入れている、しかしその概念はあまりに、楽観的で平和的で、何か見たくないものを外部に押しやった、たとえばそういったものであったのです。