進学で家を出た息子が夏休みに帰省してきました。息子の“〜っぱなし”に2週間追いかけられましたがワイワイ楽しかったです。息子がハマってるYouTubeの話しなんかを聞いたりして、自分の大学時代の“観方・聴き方”と随分違うなーなんて思ったりしたんです。息子と丁度2周り違う私も、今は生配信やアーカイブを観て、開催場所や時間で諦める状況もちょっとは減り、嬉しいこともあるのですが、観終わったあと「あぁやっぱり“生”で観たかったな」なんて唇を噛んでる自分がいたりします。時代とは関係なくブラウン管の中より、スクリーンの中より、ステージ上で繰り広げられるリアルを観るのが好きだからでしょうね。舞台もそのうちの1つです。とりわけ演出に“笑い”があるのがスペシャルに好きで、沢山の劇団を知ってるわけではありませんが公演発表を張ってる劇団が3つあります。野田秀樹氏の『野田地図』、松尾スズキ氏の『大人計画』そして、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏の『ナイロン100℃』。
先月、そのうちの1つ、チケット入手激戦でもある野田地図の舞台『兎、波を走る』を観に行ってきました。演技と内容に笑ったりウルっときたり感動しましたが、野田氏の舞台はいつも観終わってから、もっと拾えるところがあって、拾えたらもっと感動できるんだろうな、と自分の理解力の少なさを悔しく思うんです。だから必ず舞台パンフレットを購入するのですが、今回は加えて『新潮』の8月号で今作品の戯曲を読めたので、ダブルで助けてもらえました。と言いつつも、今舞台は今まで以上に要素が詰まってて拾えてなさすぎる!と実感していますので、舞台について語ることなど、できや〜致しません!笑
出演者の1人『ナイロン100℃』所属の大倉孝二氏には何度も笑わされました。役柄もあるでしょうが、大倉氏が出演されている舞台は今後要チェックだぞ!と私の脳味噌は申しております。
今舞台パンフレットで、出演者全員にこんな質問を投げかけていました。
思い出の“遊びの園”と、初舞台は?
皆さんも一緒に思い出してみましょうよ!
私の遊びの園は家。学校では男子に混ざって運動場で遊ぶようなアクティブな子でしたが、家に帰ると籠る子でもありました。パズルとか編みものとか手先を動かしてミニマルな作業をすることが好きで、スピログラフ定規で描いた幾何学模様と、ピンピンに尖った鉛筆で描いた細かい迷路で埋め尽くされた自由帳がそれを語っていた気がします。昔も今も全く変わってないですね、笑。
初舞台は幼少期にあったでしょうが、親から聞いたことも記憶にもないので、ある意味何事もなく終えたのでしょう、笑。私の思い出に残る舞台は(今のところ)人生最後に上がった舞台です。習っていたピアノを辞める最後の日の発表会。弾いた曲は1994年の映画『ピアノ・レッスン』のテーマ曲、出番は後ろから2番目。弾き間違いの連鎖が私の前の子まで続いていたのですが、その連鎖を私で止めることになりました。このときもらった盛大な拍手が嬉し過ぎて笑いを止めれず、その顔を見られるのが恥ずかしくてお辞儀を長く続けたことも覚えてます。
息子と舞台を観る日がきたら、終演に送る拍手は一生懸命するものだよ、と伝えたいです。