夢でもし会えたら
つくつくぼうしが鳴き始めると、夏休みも終わりだなぁと思う。ほっとするような、寂しいような。
子どもたちが大人になり、我が家の子どもたちとの夏休みはなくなった。今年は子どもの宿題やつくつくぼうしを意識することもなく、夏休みが終わる。
ワクワクしていたはずの真夏は、ふだんとあまり変わらない日々だった。
それでも夫の休みの日はいつもよりも多くて、少しだけ朝寝坊ができた。
夫の休みは、親の介護にほとんどすべて当てられる。
夫が夫の実家に行くか、
私が私の実家に行くか。
留守番する方が、肢体不自由の娘の「ゆう」と家でまったりできる。
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義父の認知症は思ったよりも進んでいて、義母も老老介護で疲弊している。最近の義母からのLINEは完全に一方通行で、私のメッセージは無視されている感じだ。
義母はもう、聞いてほしいことしかなくなっている。それは無理もないとわかっている。
でも、毎日、嘆きや悲しみを含んだ同じ内容の義母の長文日記を読むと、私は時々自分がゴミ箱になったような気持ちになり、優しく寄り添う気になれなくなる。
介護なら、25年間私だって…、とつい思ってしまうからだろうか。
自分の母親も、父の介護のつらさを毎日電話で私に吐き出している。
私の器はそれほど大きくない。
全部を忘れて、少しだけ無責任になりたい、そう思う自分にも嫌気がさす。
夫が実家へ行くと、待ってました!とばかりに、義母は夫に用事を頼むようだ。
重いものの買い物に連れて行ってほしい。
網戸を直してほしい。
剪定をしてほしい。
病院に行きたいから、義父を見ていてほしい。など…。
ほんとうはいつも、これだけの助けが欲しいんだ、と思う。
夫は黙って義母の要望に応え、たっぷり作業をする。そして、見えない何かとずっとおしゃべりしている義父とも話をして、自宅に帰ってくる。
夫も思うところがあるのだろう、何も言わないが、顔に悲しみが乗っかっている。
こんなとき、1年くらい前の義母からのLINEを思い出すようにしている。
義母とは2000年春秋頃から毎日LINEのやりとりをしていて、たぶんもう連続900日は越えている。
その中で1番大切なLINEのスクリーンショットを撮り、スマホのアルバムに残しているのだ。
こんなLINEを送れる86歳の小さなおばあちゃんだから、義母をやっぱり大切にしたくなる。
読んでいると、不思議と自分の抱えているものがとっても小さいことに思える。
私の夢に出てくる娘は、横になっている今の娘の姿ばかりだ。
「私は歩けるのに、みんなが歩かせてくれない」には、夢だとわかっていても泣いてしまう。
宇宙に行けばゆうも歩けるかもしれない。
水の中なら、手足も少しは動かせる。
メタバースの世界ならどこへでも行けるし、恋だってできる。
私がゆうを元気に産んでやれていれば…。
重力ってやつは強すぎる。
病気ってやつはいじわるだ。
でももう、私には今のゆうが私の娘だ。「タラレバ」はとうに考えなくなった。私には、今の彼女のままで、それでいい。
ただもし夢で会えたら、ゆう、お母さんと一緒に散歩しよう。きっと歩くあなたも、とってもかわいいと思うんだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。