いつも笑顔をくれた、小さくて強い人
8月の青すぎる空を睨みつける。
息が苦しい。
あっという間に濃い水色がにじんで、目の前の景色がゆがんで、ポタポタと涙がこぼれ落ちた。
夏空が、娘の親友を連れて行った。
25歳、13kgの小さな身体の女の子。
コツンとして可愛いけれども、娘のゆうと同級生の25歳だから、女の子じゃなくて、女性かな。
娘たちは一歳の時に、親子で通う療育の園で出会った。
療育の園での5年間、特別支援学校での12年間もずっと一緒に過ごし、卒業してから通っている今の通所施設での7年間も、2人は離れずに一緒だった。
24年間も同じところに通っているのは、同級生では2人だけ。
だから彼女は、娘にとって特別な、大切な幼なじみだ。
娘と同じように人工呼吸器で一生懸命に息をして、胃瘻からご飯を入れて、施設ではストレッチャー式の車椅子に寝転んで過ごす。
同じ病院で、何度も入退院を繰り返してきた戦友でもある。
医師も驚くほど、どんな壁をも越えてきた、めちゃくちゃ強い人。
彼女の生きたい気持ちに、私たちは何度も力をもらってきた。
ご家族の献身的な彼女へのサポートをそばで見て、私はまだまだだと、自分を奮起させてきた。
娘たちはいくつもの医療的なケアが必要なので、2人とも特別支援学校では親の付き添いが必要だった。
付き添うことにしんどい気持ちの日もいっぱいあったけど、彼女の母が一緒だから私も頑張れた。
ショートステイも使えないくらいに身体がもろくて繊細なところも同じで。
仕事を手放すしかなかった私たち母親の人生も似ている。
彼女の母親は感謝の人で、自分の考えをしっかり持てる人で、私と感性が似ていて気も合う。それもありがたいと思っていた。
全く同じ立場のママ友がすぐ近くにいること、その存在が、お互いにとって何よりの心の支えだった。
子どもたちが今の施設に通うようになり、私たちに少し自由な時間ができた。
娘たちを預かってもらっているわずかな時間に、ささっと買い物を済ませてからフードコートの端っこに座り、お茶も買わずにふたりで少しだけ話すのが、私たち母の息抜きだった。
「私たち、頑張ってるよね。毎日疲れ切って、眠れなくて、気が抜けなくて、何をしているんだろって思うけど、あの娘たちが可愛いからね。」
「私たちがいなかったら、あの娘たちはこんなに生きてこられなかったと思うわ。」
「これが当たり前だから、誰も褒めてくれないけどね(笑)。お互いを褒め合って頑張ろっか。」
って、お互いをリスペクトして、たまに涙ぐんで、でもカラッと笑いあって、不自由な生活を笑顔で踏ん張ってきた。
自己アピールの上手い娘たち2人は、施設ではいつも車椅子を2つ並べて、声のない声でまわりに「そばに来てくれてありがとう」の笑顔を振りまいていた。
その光景が大好きだったんだけど。
もう、施設に行っても、彼女の車椅子に彼女はいない。
お別れの日、彼女の母が私に言った言葉が、家に帰ってからも頭から離れなかった。
「これから私、何をしたらいいんだろう。」
呼吸器と同調した子どもの呼吸音や機械のアラームの音がない部屋では眠れない、と黒い服を着た私の親友は涙ぐんでいた。
家から出られない不自由な時間は、娘と過ごせる充実した時間なんだな、ということを、こんな時に思い知らされたりする。
棺の中に、彼女の母が黒い小さなサンダルを入れていたのを見て、たまらなくなった。
母の願いが痛いほどわかる。
それを思い出して、礼服のまま庭に出て、私は空を見上げた。
朝、ひどい通り雨が降ったあと、ずっと曇り空だったのに、いつの間にか雲の隙間から太陽が少し顔を出していた。
彼女が空に帰り、あの可愛いサンダルを履いて、走り回っている気がした。
ずっと繋がれていた呼吸器を外して、身軽に、自由に、真夏の空のなかを。
突然の悲しい知らせを受けた朝から、圧力を持って私を押してきた重くて怖い空が、不思議とやわらかい空気に変わっているのを感じた。
じっと見つめたくなるくらいに優しい空だ。
息が少しだけ楽になった気がした。
悲しいことが続きました。
怖いと感じるほどに。
楽しい夏休みにしんどい話が続いてしまい、なんだか申し訳ないなぁと思っています。
楽しい話を書きたくても、これを書かずにはいられないような気持ちになりました。
読んでいただきありがとうございました。
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