"ティー"をさかのぼる【ヨーロッパ編】
オランダ
茶が初めて持ち込まれたとき、その苦みに特攻があるのではと考えられ、健康に良いものとして用いられることも多かったのだそう。そのため、はじめから食事と一緒に飲むものとして受け入れられたわけではなかった。むしろ、茶に合わせた食事の形態が生まれるようになる。都市部では、ケーキ、焼き菓子、ビスケット、田舎ではラスクやパン、チーズとともに茶が飲まれるようになった。
ティーパーティーは富と社会的地位の象徴となり、オランダ商人たちは茶葉とともに、中国からの精緻な茶器も輸入し、茶を飲む際に茶器とおいしい菓子が欠かせないものとされた。
茶会を開催する女性たちの間では茶とともにいかにおいしいものを供するのかが、競われた。昨今はコーヒーのほうが多く飲まれているそうですが、今なお紅茶も朝食や昼食とともに、または夕食後の人気の飲み物であり続けているようです。オランダでは、だいたい午前半ばにコーヒーで休憩をとるのですが、午後半ばにはティータイム(ツィーゼイズ)を設けて、ビスケット、チョコレート、マウシェ(砂糖をまぶしたアニーシードの菓子)などの菓子とともに紅茶を飲みます。ただ、ここで飲まれる紅茶は薄めに淹れられて、ミルクを加えたりはしないそうです。ストロープワッフル(下写真)もティータイムには馴染みの菓子(1784年にゴーダのパン職人が残り物でこしらえたのが始まりらしい。)となっています。
ドイツ
1610年頃、オランダとの国境に近い東フリジアを経てドイツに茶が初めて伝えられました。それ以降の100年の間で茶は東フリジアで一番多く飲まれるものとなりました。当時はヨーロッパの多くの君主や国王が敷地内や庭園にティーハウスを建てたのですが、特にその中でも顕著な例として、1754年から64年にかけてプロイセンのフリードリヒ2世によって建てられたサンスーシー宮殿内(ポツダム会談が行われた場所)にある中国茶館(下写真)は、その建築物としての精緻さの高さが際立っています。
18世紀の終わりごろには、朝のスープに代わり茶を飲むことが日常の慣習に取り入れられました。現在のドイツではコーヒーが飲まれている印象の方が強いと思われおりますが、茶を飲む慣習も続いています(東フリジア地方の人々は今でも、1日2回~3回のティータイムを設けているそうです)。ほかの地域でも紅茶はよく飲まれており、実はドイツはダージリンなど最高級茶葉の世界最大の消費国でもあります。ハンブルクの貿易港はヨーロッパ茶葉の卸売りの中枢であり、その主要相手国がカナダとなっています。
フランス
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