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コーヒーの記憶と珈琲屋になるきっかけ

今日は私にとってのコーヒーとは何か、とコーヒー屋になるきっかけについてのお話です。

1番古いコーヒーの記憶は、たしか小学生の頃母方の祖父母の家を訪れた時に出てきたインスタントコーヒーにクリープと角砂糖をたっぷり入ったものです。

白と赤茶色の斑ら模様の焼き物で出来た小ぶりなマグカップに注がれたそのコーヒーを好んで飲んでいたのを覚えています。

味というよりはそのカップで飲む空気感が少し大人びていて好きだったのかも知れません。

前述したとおりコーヒーの味が好きだったわけではないので高校3年生になって創業者である母が自家焙煎の珈琲店を始めるまでは雪印や森永のコーヒー牛乳ばかり飲んでました。

2002年、私が高校生3年生の6月、世間はサッカーの日韓ワールドカップで賑やかな時期に自家焙煎珈琲豆工房ほの香は開業しました。

私も中学までサッカー少年でしたので、サッカー観戦に夢中になってまして正直ほの香がオープンした日の記憶はありません(笑)

当時の私からすれば突如母親が家の一階の玄関(土間のような8畳程度のスペース)に大きな焙煎機を買ってお客様を招いてコーヒーを淹れていました。

それから頻繁に家でコーヒーを淹れてくれる機会が増えていき、その母が淹れるコーヒーを飲んでいくうちに「ブラックなのになんでこんなに甘いんだろう?他で飲むコーヒーより美味しいのは何でなんだろう?」と興味を持つようになりました。

大学時代はカフェブームの影響もあり、仙台市内のカフェなどを巡りましたが当時は自家焙煎でスペシャルティーコーヒーを扱っているお店はひとにぎりで中々美味しいコーヒーに出会うことはありませんでした。

高校〜大学時代、私はギターをやっておりアマチュアバンドを組んでいて仙台市内のライブハウスで定期的にライブをしたりしていました。

曲を作ったり、ホームページでバンドを宣伝したり、CDのジャケットを作ったりと自然とものづくりに対して興味が増していきました。

兄の影響で洋楽が好きでフジロックに毎年行ったりしていたこと、小さい頃に何回か海外に連れて行ってもらえた経験からか海外に対する興味はずっと昔からありました。ちなみに好きなTV番組は世界ふしぎ発見です(笑)

そんな経験を積み重ねていたこともあり、コーヒーを自分で淹れる機会も増えていきました。ただやはり美味しいコーヒーはハンドドリップでは中々淹れることが出来ずコーヒーメーカーでばかり淹れてましたね。

バンドメンバーの家に無理やりコーヒーメーカーを置いてもらって、そこでほの香のコーヒーをよく飲んでいました。今思えばとてもいい思い出です。

大学卒業後はHP制作の仕事に携わりたくて一旦IT企業に就職したもののOA機器の部門に配属になってしまいましたがその仕事もやってみると楽しく、のらりくらりと続けていました。

その間は東京に数ヶ月、その後は仙台勤務になり東北6軒を飛び回ってました。(ただ運の良いことに隣の席の方々がHP制作の部署の方だった為HP制作のアドバイスを頂き在職中に自分でほの香のHPを制作できました)

2009年の春、その在職していたOA機器の部署が事業譲渡になり他の企業に売却。私は仕方なくHPの営業部門に異動しましたが、その後原因不明の体調不良に悩まされ約2年間のサラリーマン生活を終えました。

今思っても当時は今後についての不安がとても大きく精神的に大分疲れていたと思います。会社に頼ってばかりでは人生が進みたい方向に行かないということもここで身に染みて感じました。

長くなりましたがここでようやくほの香に入社することになりました(笑)入社と書いてますが、母1人の当時は個人事業の為そんな大それたものではなく、サラリーマン生活に挫折したボンクラ息子が転がり込んできたイメージです(笑)

とは言えサラリーマン生活で得た物は数えきれない程あり、とても2年とは思えない位充実した物でした。その当時の同期や先輩方とはたまに連絡を取り合うくらいよくしてもらってます。

高校の友人も未だに店に足を運んでくれたり、結婚式でうちのコーヒーを使ってくれたりと本当に心が温かくなります。

大学時代の友人とは、友人としての交流はもちろんですが今では仕事でもほの香の力になってくれています。(皆社労士や税理士、厨房機器メーカー、食品メーカーとして働いています)

その他にもバンド時代に出会った方、高校・大学生のアルバイトで出会った方も同様に店を訪れてくれます。

大してなんのスキルもない器用貧乏な私ですが、友人にはとても恵まれたおかげで何とか今日を生きています。ただこれは運ではないと最近感じます。

私は何より「人」が好きで、その人を深く知りたい、理解し合いたいと思う欲求が強く、関わる人とはとことん関わっていきたいと思う性格です。(その結果、空回りすることも山ほどありますw)

ただそのおかげで沢山の方とこうして長い期間ずっと繋がっていられるのだと最近感じるようになりました。

ほの香に入店した時は貯金も大してなくて(正確には結構あったつもりが保険料と住民税で直ぐ吹き飛んだ)、コーヒーに関するノウハウも、商売に関するノウハウも全然持ち合わせてない素人でした。

正直よく約10年以上珈琲屋を続けていられるな、と不思議に思います(笑)

それもこれも全部両親をはじめ、スタッフや周りの関わってくれた全ての人々のおかげなんですよね。

コーヒーのテクニック、経営ノウハウ、体験談やビジョンなどはこれから沢山書いていこうと思いますが、まずはその考えに至る私のバックボーンを書かせて頂きました。

私自身もたまにこの記事を読み返して、自分の人生のセーブポイントとして活用したいと思います。

余談ですが、コーヒーショップオーナー、バリスタ、ロースター、コーヒー屋などなど色々呼び方はあると思うのですが私は「珈琲屋」が1番しっくり来ています。

ほの香が元々自家焙煎珈琲豆工房ほの香という名前ということもありますが、海外から海を渡って来たコーヒーが日本に来て漢字の「珈琲」として呼ばれ全国に浸透してハンドドリップなどの手法や様々な形態の珈琲店を生み出したということに浪漫を感じずにはいられないからです。

そんな浪漫のある珈琲屋の仕事は最高です。
次回以降は珈琲屋になってからのお話をしたいと思います。

引き続きお付き合いください。

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