ライブレポートと金沢旅行記。【TK(凛として時雨)kalappo tiny brain session -kanazawan edition-】2023.12.24 1st stage
ファンクラブ限定回の参加だったためライブレポを書くつもりはなかったが、FC限定ライブだからと内容を非公開することも無いかと金沢から帰ってから思い立ち、筆を取っている次第だ。
今回は2日目、12/24の1stステージの参加。
「21世紀美術館でライブ」とは言え、あの名物プールでライブをやるのではなく、館内に「シアター21」と呼ばれるミニシアターで行われる。
今回は初めてライブレポートと自分の旅行記を織り交ぜて書きたいと思う。
ライブレポート
ステージ下手から黒い服を身に纏った3人が登場。
TKが椅子に腰かけると、ピアノが美しい「reframe」から深々とスタート。微睡への誘いこそ、弾き語りの醍醐味である。
「Signal」は昨年のイベントとほぼ同様のアコースティックアレンジ。ラストサビの「零が無限」から息つく間も無くアコギを秩序的に掻き鳴らし、こじんまりとした映画館を音で埋め尽くす。
なんとなく「Signal」でライブ前に寄った尾山神社を連想した。
御祭神は加賀藩主の前田利家、「神社にステンドグラス?」と思うかもしれないが、このステンドグラスこそが尾山神社のシンボルである。
時代は明治に入り、文明開化真っ只中の尾山神社建設当初は、和漢洋が取り入れられたこの建築デザインに反対意見が出たり、「擬洋風建築」(西洋建築の真似事)だと言われ建築としての評価は低かったそうだが、現代ではそのモダンさから重要文化財に認定され、観光地として金沢のシンボルとなっている。
(ここで言う「和漢洋」は「和」が神社、「漢(中国)」は門の3連アーチが中国の竜宮造り、「洋」がステンドグラス)
TKの曲はダークな雰囲気から「夜明け前」を度々感じるが、同時に「分岐点」だとも感じる。
11年ほど前、凛として時雨が「ミュージックステーション」に出た際、TKが出演を決めた理由を尋ねられた際「こういう音楽が流れても面白いと思った」とコメントしており、以降若手のロックバンドが次々と筆頭し、音楽シーンを食らい、フェスが夏の風物詩になり、事実その通りになった。
「文化の分岐点」という意味で、TKの音楽と合致するのではないだろうかとも思ったりした。
TKの弾き語りライブは、図書館や美術館のような言葉を不用意に発してはいけない静寂した雰囲気だ。
決勝戦のゲーム前の高揚感とは違う、「試合終了まで残り1秒、点差は1点、勝利の女神がどちらに微笑むか分からない」と張り詰めた緊迫感に近い。
(本人は毎度リラックスして欲しいとは言いつつ、客としては無理難題である)
降り始めの新雪のような柔らかさを連想させる「罪の宝石」に対して、ハンドマイクで歌われた「tokio」は刺さるような冷たさの北欧の夜の雪。
同じ”静”の性質を持つ曲でも、丸みのあるシンセサイザと、鋭さが掻き消えないピアノ、浮遊感のあるウィスパーボイスと張りのあるミックスボイスの使い分けで、常に補色のように互いを成り得る。
「fragile」ではテレキャスターが静穏に歪み、壮大で風光明媚な「white silence」は雪の金沢に似合いすぎていた。刺さりに行っては的確に刺さる、刺さらないようにしていても盲点から刺さる。
優しく和らげな「like there is tomorrow」は、どこか雪解けのようなのあたたかを感じた。
白山比咩(しらやまひめ)神社、全国津々浦々約3000社ある白山神社の総本山が石川県の白山市にある。
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。日本書紀のみに登場する女神で、伊邪那美と伊弉諾の喧嘩を仲裁をしたことと、「縁を"くくる"」として「縁結びの神」として知られる。
「縁結び」は恋愛のみならず、仕事も物事も友人関係も全てに関連する。
こちらの神社は御祭神が女神様ということもあり、包まれるような母性的な柔らかさを感じた。写真ではかなりの豪雪だが境内は風も吹かず、着いた時は日も出ていたので、むしろあたたかかった。
遠征先で神社に寄る際はご祭神やご利益関係なく「この土地に来れたご縁への感謝」を述べることが多いが、TKがこのタイミングで金沢でライブをやっていなければ、狛犬が雪の帽子を被る神社も雪化粧の兼六園もこの目で見ることは無かったし、雪国特有の寒さよりも景色の美しさが記憶に残ることも無いと心底思う。
同時に「縁結び」となれば、TKのおかげで様々なアニメを見たり、ロックバンド以外あまり触れることのない私にとって、楽曲提供によりTKが別ジャンルのアーティストの入り口となってくれて大変感謝している。
今回のアコースティックライブはTK、ピアノの和久井沙良、バイオリンの須原杏の3人とミニマルな編成だが、”音数が少なくコンパクト”と印象よりかは、”クラシカルで剥き出し”という印象が強い。
ステージは楽器と3人とも”曲が主役”と言わんばかりの彩らない黒の衣装、映像演出など無く照明だけ。しかも1曲ごとに色が変わるか変わらないか、既存のスポットライトを使うか使わないかの究極のシンプリズム。
「first death」はアコースティックギターなのに荒削り、ベースもドラムも無いのに轟音、バンドセットの激情をそのままパッケージしたかのような熱量は圧倒的に尚武で、一際大きな拍手が鳴り響いた。
「死ぬまで君を愛してる」の銃声のようなシャウトで何度殺されかけたか。むしろそれを聴きに来ている節もある。
そう軽く謝罪を入れても、彼の心のどこかでこの氷が張り詰めたかのような空気をブチ壊したい破壊衝動があったのでは無いかと思う。
写真は「金劔宮(きんけんぐう)」。御祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を始め、大国主命、大山咋神、日本武尊など男神である。
先ほど紹介した白山比咩神社とは同じ白山市に鎮座する(歩くと30分程)が、この神社は菊理姫の柔らかい雰囲気とは対照的に、跳ね除けるような力強さがある。
神道では神には二面性があり、穏やかな性質を和魂(にきたま)、荒い性質を荒魂(あらたま)と呼ぶことがある。静寂と激動を操るTKに重なる節がある。
「Scratch」はB'zの稲葉さんをゲストボーカルに迎えた珠玉の曲だ。毎度ライブに行くたびに「稲葉さんとのコラボ曲またやらなかったな」「いつ聴けるかな」と思っていたが、特別なセットでようやく聴けて感無量。
稲葉さんが楽曲制作に対するコメントで「TKは頭が柔らかい」とおっしゃっており、全編通して痛感した。
「like there is tomorrow」「tokio」 など元々バラードチックな曲もあれば、「Signal」「first death」などバンドセットこその曲もあるが、どちらにせよアコースティックとなると曲の印象が全く違うのである。
同じ楽曲で様々なアプローチが出来るという点に置いての才能も卓越していると思う。
そもそもTKがファンが”遠征してくれる前提”でライブをしていることが判明して笑ってしまった(ちなみにTKが話していた渋谷屋根裏は既に閉店)。
ラストは「テレキャスターの真実」を弾き語り。ピックを客席に投げ、両手を合わせてステージを去った。
最後に、会場の21世紀美術館の話をしたい。
建築家は世界的建築家・妹島和世さんと西沢立衛さん。
どこからでもアクセスできるガラス張りのサークル状の開放的なデザインと、室内と室外の境界線の無いフラットさが魅力である。
ステージ最前列と客席は物理的にもゼロ距離だったが、21世紀美術館特有の”空っぽ”のモダニズム建築と境界線の無いボーダーレスによって、より一層TKの織り成す世界に没入出来た気がした。
そうだ、金沢に行こう
今回初めて自分の旅行記とライブレポートを織り交ぜて書いたのかというと面白そうだと思ったのもそうだが、ライブと旅行がワンセットの遠征好きの私にとって、自然と曲と街の情景が重なるからだ。
「同じライブを見に行って何の意味があるの?」と問われれば、ライブハウスの場所や土地柄、季節によって雰囲気が全く違うと答えるが、特に流れる四季が一番の魅力だと顕著に思う。
例えば桜咲く春に桜の歌を、夏フェスで夏らしい曲、秋にはセンセーショナルな歌を、冬にウィンターソングを聴く、その何気なく日常でしていることを、実際にその季節に出かけて五感で体感する。
四季の風情とライブの生物感が合致した時、一層風雅で特別になる。諸行無常の季節もライブも楽しめる日本は素晴らしいと改めて思う。
雪の21世紀美術館でTKのライブは、またとなく格別美しい夜となった。