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どうしようもなく見えることをどうにかする為にすべき事
こんにちは。twins|コーヒーと庭 です。
一見するとどうしようもないことを、それでもどうにかしたい。前に進みたい、打開したい、そんな時は何をすればいいのでしょうか。
今日はそんな記事です。
素因数分解してみる
どうしようもないその事象をどうにかして突破しようとするとき、やはり突破口を開かなくては話が始まりません。
そして突破口を開くには、突破口を見つけなくてはいけないわけです。それを見つけるのに有効な手段は、素因数分解です。
課題になっているモノを、小さく分解してみるのです。パッと見ひとつの大きな障害に見えることでも、よくよく観察してみると小さな障壁の複合体だったりします。
そして個々の小さな障壁に対しては、有効な手立てが思いついたりするものです。
即効性のない手立てを、継続できるか?
バラバラに分解して、それらひとつひとつに対して対応策を考え、それらをひとつひとつ潰していけば、目の前の大きな壁を壊すことができる。
頭では理解る。
けれど、本当に難しいのはここからです。
課題をひとつ潰したくらいでは、本丸はピクリともしないのですね。ふたつ、みっつとこなしてもまるで進んでいる気がしない。
そうこうしているうちに最初の情熱が冷め、結局は元の木阿弥になってしまう。
これこそが、どうしようもなく見えることがどうしようもない所以なのです。
ゆっくり成長することを恐れるな
ゆっくり成長することを恐れるな。
じっと立ち止まっていることのみを恐れよ。
小さな課題をクリアするとき、微々たるものかも知れませんがゆっくり、着実に進んでいるのです。
でもそれがあまりにも牛歩のようで、こんなことをして意味があるのだろうかとか、時間の無駄なんじゃないかとか、思ってしまうのです。
けれど、本当に真の課題を解決したいのであれば、ゆっくり成長することを恐れてはいけない。
恐れるべきは、そうして立ち止まっている時間です。立ち止まっている限り、永遠にそれをどうにかすることはできません。
ゆっくりでも進むこと、ゆっくりでも成長することが大事なのです。
言うは易し、行うは難し
さて、以上の文章は、自分への戒めとして書きました。
このnoteは私が真に実現したいことに対しての足がかりとして始めたものですが、やっぱり継続は難しい。
ときどき、ふと、「こんな事してても意味無いんじゃない?」という悪魔の囁きが聞こえてきます。
でもね、何もしなければ何も起きない。何かしら動けば、その効果は微々たるものかも知れないけれど何かが起こるのです。
それを信じて、進むしかない。
道を知っていることと、その道を歩くことは本当に別物です。だからたまにこの記事を読み返して、自分に発破をかけることにします。
私が弱音を吐いたら、叱ってください。
ほら!自分で書いたんだから、ちゃんと有言実行しな!