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世界の適切な保存
永井玲衣さんの、世界の適切な保存を読みはじめました。
哲学書に書いてあるようなことはどうも抽象的で頭に入らず、エッセイならばと読みはじめたところです。
ものすごく無知な偏見で恐縮なのですが、哲学をお好みの方は、発生した状況や感情に対して俯瞰して、最もだと思える理由や背景、合理性、出来事に共通することを、抽象的な言葉で表現していると、勝手に思っていました。
そういう話と、スガシカオの歌詞を行ったり来たりすると、混乱するのでお勧めしません。
本の冒頭、自己紹介で、「か」が足りない世界を話してドン引きされたエピソードは、私もそりゃそうだろうと、思った。
本文では話したらドン引きされた、メモを消したくらいしか触れられていないが、それらは、彼女にとっては日常であり、呼吸をするのと同じくらいで普通の事だったのだと考えられる。
周りの異様な目で、ガラケーのメモを全て消してしまったのはそれまでの自分を否定することにも等しかったのではないかと思う。
淡々と綴ってはいるが、わたしのなかでは、彼女にその感情はそもそもあったのかすらわからない。
哲学をやる人はそんな無駄と思える思考(異様な目で見られて、過去は変えられないのに、これまでの自分を恥じ入ったり、落ち込んだりする)をするのかが疑問である。
たぶんしたから消したんだろうと考えるのは、凡人の邪推に過ぎないのではないかと思った。
最近まともに本も読めてなかったので、この本の趣旨には反するかもしれないけれど、その時思った感情とか疑問は保存せず置いておいて、取り敢えず読んでみます。
でも、結局保存したくなったから、書いています。
ちまちま読み進めると、「保存」というのは、今ここにある現象を掘り下げた上で、名前をつけて、言葉に記すことだとわかった。
私も時折、思ったことを何かに書きたいというのは、残したい、保存したいという気持ちになるのは、そうか、保存という言葉がしっくり来るのだな。と、思う。
本のタイトルにもある、世界の適切な保存の章は、エッセイ読んでて泣きそうになった。