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オリジナル短編小説『トカゲ』

最悪だ。
私は今、飼い犬を庭に出したことを心底後悔している。
犬の口元に細長い焦げ茶色の物体が見えたので、近づいて確認しようとした。木の枝かなんかだろうと油断していた。だが、それは木の枝ではなかった。
ひっ!
思わず小さな悲鳴をこぼした。
トカゲだった。
子どもの頃から大の苦手な存在。素早い動きはもちろん、分裂したときの尻尾なんか想像しただけで気が遠くなりそうだ。
生きているのか?いや、犬に噛まれているということは…。
生きていようと死んでいようと苦手なことに変わりはないので、そこから先は考えないことにした。
とにかく今は、犬に「それ」を飲み込ませないことだけ考えよう。
今、家には私一人。夫と子どもの3人暮らしだが、今日は夫が子どもを保育園へ迎えに行く当番の日だった。
仕事が早めに終わってゆっくりくつろげると思ったのに…。
悔しさと不快さで私は眉をひそめた。
太陽が出ているが、空気は冷たい。
私が呆然と立ち尽くしていたので何事かと様子をうかがっていた犬が前足で押さえていたトカゲに再び興味を示し始めたので私は「ダメ!」と叫び、急いで芝生から濡れ縁に上がり、リビングに入った。そして、箪笥の上にあるトイレットペーパーを持ち、庭へと戻った。
できるだけトカゲの感触を感じないように、トイレットペーパーをたくさん巻いて厚くした。ふと、庭を見回すと犬の姿がなかった。濡れ縁の上からサンダルを履き、探したが見つからず困り果てていると濡れ縁の下から音がしたので覗くとそこに犬とぐったりしたトカゲの姿を確認できた。スピリチュアルの世界ではトカゲが幸運の象徴だということを何かの本で読んだのを思い出した。
私にとっては不運でしかない。
やりきれない思いで犬を濡れ縁の下から出すために「おいで」と呼びかけた。しかし、犬はなかなか出てこようとしない。トカゲに興味をなくしたのか、今度は近くの雑草の匂いを嗅ぎ始めた。トカゲは犬から少し離れたところで置き物のように微動だにしない。私はトカゲを回収しようと腕を伸ばした。そのときだった。突然トカゲが勢いよく動き出したのだ。
ぎゃっ!!!!
私は短い悲鳴を上げ、尻もちをついた。ちょうど石畳のところに手をついてしまい、激痛が走った。犬が驚いて、駆け寄ってくる。ふと顔を上げると顔から血の気が引いた。トカゲがこっちに向かってくるではないか。私は大急ぎで立ち上がろうと足に力を込めたが、うまく力が入らない。嫌悪感がせり上がってくる。そのとき、トカゲがあと少しで私の手に到達するところで犬が前足でトカゲを弾いた。
私から見て右斜め前に着地したトカゲは見るからに弱っていたが、その尻尾だけは元気であるかのようにピンと張っていた。犬が先手必勝とでも言わんばかりにトカゲに向かって突き進んでいったので、私をトカゲから守ってくれてありがたいという気持ちと、犬がトカゲを食べてしまうのではないかという焦りで私の頭はパニック状態だった。トカゲを捕まえ、そのままその場に伏せた犬がいきなり私の方に向かって走り出してきた。しかも、トカゲを口にくわえた状態で。
私は逃げた。だが、逃げれば逃げるほど犬は喜んで飼い主を追いかける。私は犬の方に体を向け、手を突き出し、「止まれ」のジェスチャーをした。だが、私自身は後退りをしながらだったので、犬も止まらなかった。こめかみに汗が垂れてくるのを感じた。そのとき、犬にくわえられているトカゲと目が合った気がした。それはまるで嘲笑のような顔をしていた。その顔を認識した途端、私の中から怒りが込み上げてきた。
トカゲごときが人間を嘲笑いやがって。
私は意を決して犬めがけて走り出した。すると予想通り犬は逃げた。トカゲに追い詰められ、バカにされていたが、今度は形勢逆転だ。
どうだトカゲ、思い知ったか。
私は気分が良くなり、走りながらジャンプした。そしてスキップに切り替えた。空を見上げながら、爽快にスキップをした。まるで朝のシャワーを浴びたあとのようにすっきりした気持ちになっていた。
太陽が雲に隠れ、うっすら暗くなってきた。庭を幸せそうに走り回る犬の口元にはすでにトカゲの姿はなく、庭の隅で尻尾だけが犬と飼い主の調子に合わせるように踊っていた。

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