「正義」か「悪」か、それを判断することそのものが「悪」である
『荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方』を読んだ。
「悪」と聞くと人は嫌悪感を示したり、罰せられるべきものだと主張したりするかもしれない。でも、それは個人の主観でしかないのではないだろうか。例えば、「罰せられるべき」という考えは「正義」なのだろうか。キリスト教では他人を裁くことは良しとされていない。なぜなら自分自身も裁かれうる存在だからだ。それは罪を犯す側と罰を与える側の天秤が安定しないことを意味しているのだろう。私たちは無意識に他人を罰している。特にSNSではそれが顕著であ