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何度も行くのは遠い場所

14日の売上は300×5の1,500円でした。


なぜ遠い珈琲屋に通っているのか。

僕は珈琲屋さんに来ています。まさかの3度目。「まさかの」というのは珈琲屋さんに失礼なのかもしれないけれど、ここは山奥にあるため片道1時間半くらいかかるし、道も狭いし遠い。でもなぜかここに来てしまうのです。珈琲も美味しいし、プリンも美味しい。ただそれだけじゃない気がするなあって思いながら運転してた。

いろんな珈琲屋がある。街中も山奥も。どちらも行った。でも何度も来たのは山奥の珈琲屋だけ。あとは1度しか行ってない。次も行こうかなと思ってみるけどやっぱいいか。と思ってしまう。それは初回で仲良くなりすぎたからかもしれないな。

今いる珈琲屋は店主と話したことがない。レジの会計の時の「何百円です」だけだ。だから良いのかな。

よく親友と話すことがあって、それを今とても強く感じていて、仲良くなりすぎると行けなくなる。行きたくないわけじゃないけど行くのを躊躇ってしまう

最近は珈琲屋をやっている自分を想像して、お客さんとして珈琲屋に行ってみることが多くて、この感じだとお客さんは嫌かなとか色々と考えてしまう。行きやすいお店作りはとても大切だと思っていて、行きにくいお店になってしまったら最後なのかも。難しいだろうけどそういうのを少しずつ考えて営業し続けないといけない。

例えば街中でやるなら珈琲だけで良いと思っているけど、山奥だとプリンくらい欲しいよなとかね。僕プリン好きなんです(笑)珈琲屋にプリンあったら頼んじゃう。美味しいから。珈琲とプリンが合うかどうかは正直分からないけど、プリン食べるの好きなんです。

山奥だから景色がすごくて、たんぽぽが飛び、バッタが鳴き、蝶々が飛んでいてトンボも飛んでる。飛んでばっかだけどすごく良い。

仕事帰りに寄ろっとみたいなノリで行ける場所じゃないから、今仕事を休んでここに来れていることがすごいことだと思う。奇跡みたいなもんだ。


仕事で死なないでねというnoteをこの前書いたのですが、ずっと読んでもらえていて嬉しい。仕事では死なないで欲しいという思いは珈琲屋を始めても伝えていかなきゃいけないと思っているから。仕事で死ぬっていうのは生命を断つだけではないと思っていて、病気になったり仕事に行きたくなくなったり。仕事によってその人が怖い人になったり悲しそうな人になったり。人が変わったようになったり。それら全部死んじゃったのと同じじゃないのかなと僕は考えます。

仕事しないと生きてはいけないけれど、生きるために必要なのはお金だけではないと思っていて、最低限のお金さえ稼げれば普通に生きていける。そんな生き方が上手なのは僕の親友なので、みなさんぜひ親友の元へ。

仕事を仕事じゃないように。
遊ぶように。ふざけるように。
それでいて、ぐんぐん伸びていく。

そんな感じで良いのではないかなと。
ではまた明日ね😁

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