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もう少し簡単でいいかな

もう少し珈琲は簡単に考えてもいい気がしてきました。なんか深いようですが誰でも簡単に飲める嗜好品なわけですから。

たまたま僕自身珈琲屋をやっているので、珈琲のことをちょっとやっているだけのことで、僕より詳しい趣味の人なんて沢山います。僕はペーパードリップしかできませんし、そこに自分なりの美味しいをなんとか持ってきているだけです。正直言ったら自分の焙煎した豆が1番美味しいと思っていません。他の深煎り珈琲の方が美味いです。でもその味をなんとなく覚えていられるから、その味をどうやったらここで自分で出せるのかな?を常に研究しているだけです。みんながいう美味しいを僕は知らないしそれを美味しいと思うかどうかは分かりません。なんなら僕は浅煎りを美味しいとは思うけど飲みたいとは思わない。こんな感じじゃないですか?浅煎りが好きなのか。深煎りが好きなのか。ナチュラルとウォッシュだったらどっちが好みですか?みたいなもう少し浅めなところに美味しいがあっても良いと思っているのですが、なんか結構難しくなってそうですよね。いやそれで自分が美味しいと思える珈琲を研究するのはとても楽しそうだし良いと思うけどそれを「美味しい淹れ方」みたいに言うのはちょっとうーんみたいなね。そんな感覚です。ずっと。だから僕も最も美味しい淹れ方とは言いません。僕はこれで良いと思っているだけです〜みたいに言います。

10年くらい経ってまだ珈琲のことができていたら今よりはちょっとはマシな珈琲ができているかな。あまり珈琲のことは語らず言わず。というのをちょっと意識しながら日々珈琲屋をやっているのです。

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