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人間としてのふくらみ

恋人が作ってくれたドリアが美味しすぎて、ぜひお店を作った時にはメニューにしよう!〇〇ちゃんのドリアって名前にして、「ドリアで」って言ったら無視して、「〇〇ちゃんのドリアで!」って言ってもらえたら厨房に「〇〇ちゃん!ドリア入りましたああああ!」って言いたいねと話をしたら、嬉しくて7時間くらい爆睡していました。

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人間としてのふくらみという言葉を本で読んで、これは何か書いてみようかなと思い、筆(キーボード)をとった。

人間としてのふくらみがどんなものか全くわからんけど、ホテルマンとして働いている時も、スーパーのレジ打ちをする時も、初対面だとしても「あっこの人は人間としてのふくらみがあるな。」と思うことがあった。

※人間としてのふくらみ。という言葉は今日知ったので、この人は良い人だなあと思っていた

ホテルでは「とても良いホテルでした!また来ます」と言ってくださるお客様がいれば、朝フロントの私たちが挨拶をしてもフル無視する人がいたりする。

レジ打ちをしていると、「袋いただいてもよろしいでしょうか?」と言う人と「袋」だけ言ってくる人もいる。もちろん腹は立ちますよ。

飲食店でも、「ごちそうさまでした〜美味しかったです😀」とお店を出て行く人と、「無言で出て行く人がいる」。


別に誰がふくらみがあるかないか。というのに正解はないのだけれど気持ちが良いのはどれも前者だよなと思う。ただその感じ方はお客様側ではなく、サービスを提供している店側の人の感じ方なので、人間のふくらみを感じるためには、お客様側からふくらみを感じられるようにならなければならない。

この前1人でラーメンを食べに行ったのだが、その時めちゃくちゃでかい声で「ごちそうさんでした。またくるで〜〜〜」と言っていた家族の方がいて、素直に「すごい人だなあ」と思った。僕も作ってくれた方に対して「ごちそうさまでした!」と言えるようになったのだけど、あそこまで素敵な声を出すことはまだできないなと。まだまだふくらみが足りないなと感じたのです。


人間としてのふくらみがある人。それがどんな人なのかよくわからないままだけど、自分の意思で動いている人。僕の親友はふくらみがあるなと本気で思う。毎日行くカフェで気づけば常連のおばちゃんと仲良くなってるし、店主と仲良くなってるし、毎日ご馳走様でしたニコッて帰ります。実はそんなとこにふくらみが含まれているのかもしれません。「袋」とだけいう人にも、その人の言い方があってそれを貫き通しているのならそれがその人のふくらみ部分なのかもしれない。そう考えるともっと人の面白さに気づいていけるのかもしれませんね。ではまたね。



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