珈琲いいかげんの領域について
とても興味深く、ワクワクする記事を読ませていただき、僕自身の領域についても書きたくなりました。
呪術廻戦は読んだのですが、漫画などとにかく素早く読んでしまい、詳しい領域展開については理解しておりません。勝手な想像でお許しください
珈琲いいかげんは、ほぼ世の中と同じ範囲の領域を展開しています。このお店への入り口は家と同じであってほしい。家に帰るように(実際に家が目の前なのになぜか珈琲屋に一回入って帰る人もいます)珈琲屋に遊びに来て欲しい。自由さと楽しさが混じり合う珈琲屋であれ。ありたい。
こんな領域使いがいたような、いなかったような。世の中全体を切り刻むあいつのように。
できることなら世の中全体を囲むほどの大きな領域を展開したいけれど、まだそこまでの呪力は持ち合わせてなくて。いまはまだ東雲本町という小さくも強い町をひっそりと囲っている感覚があり、そこにのそりと踏み込むことで外側の世界から珈琲いいかげんへと足を踏み入れるお客様とで会うことができます。
家。店じゃなく家。落ち着く空間と言ってもらえることが多くあります。嬉しいですね。
しかしながら先ほどの絵を見てもらえると分かるように、自分の周りに小さな簡易領域を展開しておりまして、ここを勝手にこじ開けてきたら僕は切ります。ズバァッて。
この簡易領域は人間界で言うのならば、距離感といっても良いでしょうか。基本的に人は嫌いではありませんのでのんびりとお話しすることがあります。しかしながら時にこの簡易領域に踏み込んでくるお客様がいらっしゃりその都度私は沸々とストレスを溜め込んでしまいます。
ほとんどそんなことはありません。僕自身相手の領域に踏み込まないように心がけておりますが、こちらから踏み込んでしまった場合は同じように、来なくなってしまう。なんてこともあります。人によってこの領域は違うと思いますし、大きさの大小も、結界の強弱も変わるでしょう。僕の領域の外側はふにゃふにゃ。基本誰でも通り抜けることができます。しかしながら内側の結界は心を許した人のみが通れる結界のようです。
数人のお客様はこの内側の結界をこじ開けて入ってくることがあり、その都度優しい言葉と態度を保ちつつも、外へと押し出しています。(本当は外側の結界まで追い出したい)
今こうして文章を書いていると、これまでの人生の中で外側の領域はほとんど完成しているかのように感じます。今はこうしてお店を営み、文章を読み、人と会話し、生活をすることによって内側の領域を整えているところ。そんな感覚があります。
領域外のことにはあまり興味がなく、だからか街に出かけることもほとんどありません。例えて言うならば、広島市内(本通り付近)は僕にとって領域外の世界でして、1人で歩くことなど容易ではありません。すれ違う人々全員が他人に見えてしまいます。実際には他人なのかもしれませんが少し違う遠い世界の人はどのように思ってしまう。なのでそういう場所には誰かと行きたい。その人の領域に入らせてもらい、ちまちまと歩く方が心地が良いのです。
海外なら1人で行けます。
でも近くの飲食店には1人で行けない。
これもまた領域の違いなのかもしれませんね。
ではまた。
それぞれの領域をぶつけ合いましょう。