終わりを求めて
やっぱ書く方が楽だし楽しいよな
と思いながら今日も書きます。
10月はnote毎日書きますかね
僕はやることが明確になっている方が動けるし楽しいのだと思う。
シャンプーなどの詰め替えは詰め替えたら良いだけなので、何も思わずにできます。洗濯も干せば終わりなので。だから面倒だとも思いません
終わりがあれば良いというわけですね
7:00に始まり、18:00に終わる。
焙煎はというと、終わりはないですね。
永遠に謎のまま突き進んでいる感じ。
珈琲屋にもいつか終わりは来るだろう。
いつかは分からないけれど、終わりを見据えていた方が良いのかもしれない。
今日ふと営業中に、今の珈琲屋がなくなったら自分は何で生きていくんだろう?と思った。生きていく術は何になるんだろう。そんなことをたまに考えたりしながら日々営み続けている。
今とても面白い本を読んでいて、そこには僕らよりも圧倒的に年収も低く、水すらろくに飲むことができない。汚水を啜ってなんとか生き延びているような子供達がいたり。
そんな本を読んでいるのだけれど、そこに何十年もいた日本の方が、ここには幸せがあります。ものではない人間的な幸せが。
ものに支配されない生き方が流行って、僕もそんな生き方を一回真似してみて、今もそんなにものはないけど。でも水道水はがぶ飲みできる。珈琲もたらふく飲める。お金もちゃんと使える。本当はこれ以上に良いことなんてそれほどないのかもしれない。だけど住んでいる国が日本だから人外的な幸福は感じにくいだけなのかもしれない。
ブックマンがある湯来町。自然に囲まれてびるなんでものはない。昔ながらの家がぽつんぽつんと建っているだけ。普段は見ることがないような虫達と出会え、空気は綺麗。花も沢山咲いていて川も綺麗だ。僕はそこにいくだけでネガティブなことを考えるのは減るような気がする。
運が良いのか悪いのかそこは電波もほぼないので、街中で使うよりも速度が遅い携帯電話があるだけ。デジタル的にものんびりになれる。
ブックマンでは本が沢山あるけど、僕は昨日行った時もイヤフォンをしてノイズキャンセリングで自分の世界に入り、ラジオを聴いたりしてメモを取っていた。本を読んでも読まなくてもただそこに座って珈琲をのみ、時間を楽しむことができるのは街中にはないように思う。
時間感覚に終わりのないブックマンが好きだ。
終わりのない日々も好きなのかもしれない。