エッセイが好き
誰かが書くエッセイが好きだ。小説はなかなか読む始めるまでに時間がかかるし、読み終えることがなかなかできない。でもエッセイのようなその人自身の生活や言葉が書かれているのはスッと読み切れる。
一昨日2冊の本を購入した。
1 小原晩さん これが生活なのかしらん
2星野源さん いのちの車窓から2
1冊目は買ったその日と次の日で読み切って、今は源さんの本を半分まで読んだ。どちらもエッセイなのか?そもそもエッセイとは何ぞや?それは置いといて。
とにかく自分以外の誰かの、生活における感情や想いを知ることができる。そして自分もそう思うことがあります!と言いたくなるような文章に出会うこともある。
読む人にとって、全ての言葉が刺さる場合もあれば、あの一節がとっても好き。という場合もある。とにかく言葉を綺麗に文章にできるのに憧れがある気がする。
僕の生活はいつも一緒。朝起きて歯磨きをする。寝巻きのまま今日焙煎する豆を選び計量する。ぼーっとした頭を頑張って起こしながら焙煎をやる。20分くらいでザルに上げて出来上がり。7時にお店を開けてダラダラとスマートフォンを縦にスワイプし続け、どこかのタイミングでこれじゃあダメだなと我に返り、一旦コーヒーを飲む。ポツポツとお客さんが来る日もあれば、1日中ダラダラと過ごす日もあって、気づいたら18時。閉店。シャワーを浴びてご飯を食べたら眠る。この繰り返しだ
読書でも何でもとにかく始めることが1番難しくて、まずは携帯を机に投げて、本を手に持ってみることから始めると案外上手くいく。
まず本というのは自分が読みたいと思うから読めるわけで、だから本棚から手に取った本はすらすらと読める。この人から、この本から吸収するんだ!という熱い気持ちが強ければ強いほど一瞬で読了できる。
お客さんと死について話す機会があった。僕はずっと死ぬのは怖いなと思っていてそれはきっと人生でまだ、残した悔いがあるからで。
でもお客さんは明日死んでもいいと思っていると言った。かっこいい。
そのかたは小さい頃から死生観を持っていたらしく、どうせいつか死ぬのであれば今日を精一杯生きようとそう考えていた。だから毎日楽しんで生きてるよ。とのこと
人生における恐怖は人が目の前で息を引き取ることだとも言っていて、お化けなんかより目の前の、これまで一緒に過ごしてきた人が無になる瞬間がふっと怖くなる。
僕は未だそういった場面に遭遇したことがない。だから死という概念が一体どんなものなのかわからない。死ぬのが怖いというのは、死に方が選べないのが怖いだけかもしれない。水で死ぬのは嫌だ。痛い思いをして死ぬのは嫌だ。できれば薬を投与して眠るように逝ってみたい。
死を恐れて動かないのは勿体無いのかもね。明日は我が身かもしれないし。後悔がないように生きるのは結構難しいと思うし、毎日のように後悔をするのだろうけど、それでも今日1日が楽しかったと言えるように、こうして文章を書いて記録して日々を忘れないようにしようと思う。