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快適に暮らす。

人間の日常とは、
それぞれの条件で快適に生きること。
人間というもの 司馬遼太郎著

この言葉を見た時、なるほどそうだ。と感じた。

僕らが毎日生きている今日が快適であれば、それで十分なはず。だけども、仕事だとか家庭だとかお金などに振り回されてしまったがために、今日が快適に暮らせていないと錯覚してしまっているんじゃないかと。

錯覚していると書いたのは、今あるお金、モノ、仕事、で十分快適だからだ。だけども、便利なものが増え、欲望は増すばかり。十分に珈琲をドリップできる器具は持っているのにも関わらず、次から次へと荷物が運ばれてくる。


十分快適な暮らしをするには、何が必要か。

それは快適だと思える心。だと思う。

今のお好み焼き屋は快適に働けているし、
家では恋人と最高の時間を過ごしている。
喧嘩や意見の食い違いはあれど、それもまたお互いを知ろう解ろうとしている感じで。
とても良い時間。

朝は起きてコーヒーを飲む。
この時間がまた快適であって、
十分幸せで快適に暮らしているはず。

ただ、いくらミニマリストになろうとも、僕の欲望は絶えず、今は珈琲考具のドリッパーが欲しくなっている。

時に条件は厳しくなることもある。

世界一周から帰ってきた時、僕には働く先もなくお金もない状況だった。にも関わらず、僕は焦りもせずのんびりと1ヶ月くらい過ごした。もちろん、周りの助けも多くあったけど、それでも快適に過ごせる能力があるのだろうと勝手ながら思っている。

もしかしたら、明日海外転勤を言い渡されるかもしれないし、仕事をクビになるかもしれない。でもその時にその条件下で「快適に暮らせるかどうか」がこれから生きていく上で必要なスキルなのかもしれないな。と書きながら感じています。


どうやら僕はコーヒーを飲み、仕事を頑張り、帰って恋人とハグをしてご飯を食べて寝る。この流れが今はとても快適なんだろうな。これ以上は求めなくても良いのだろうなと。


お金は必要。仕事も必要。家族も必要。でもそれ以上に快適に暮らすこと。が人間には必要なのかもしれません。

さあ、午後も快適に暮らすぞ〜!!


昨日はYouTubeを更新しました!よければ見てください😁

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