数の世界と尊い命
私はこれから、ある一定の将来が約束された職業に就くことになっている。
愚直に真面目に学業をやってきてここまで来ている。この先に見える道にも線路は敷かれ、途中にハードルがいくつか設置されていて、順調に飛び越えていけば、金銭的な心配をせずに済むし基本的に敬われながら生きていくことになるだろうなと思う。
でも、定量的な評価が常に下されるこの業界にいつまでも身を浸して良いのだろうかと思う。
この業界に捧げている人々を日々目にしている。そこには自分が尊敬できる人間がいない。
「替えの効かない人などいない」というのが持論だ。
石の上に3年もいられそうにもない自分でも、3年よりも長い時間をこのままの状態で生き続け、細分化されたある特定の分野を究めて、それのスペシャリストとしてこの世界で幅を利かせることは、少しの努力で出来そうではある。
しかし、この世にたった一人の自分として生を刻むことの大部分を放棄し、一度きりの人生を差し出し、時間をかけて進んだ末に「替えの効く」一個体になり、成功という幻想に酔いながら死にゆくという生き方などして良いものなのか。したくない。
自分は自分で十分に素晴らしい。人は皆、すごい人、偉い人、なんかにならなくたって十分に素晴らしく尊いのだ。
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たとえ どんなに
大きな成果が
約束されているとしても
数の世界に
いのちを
明け渡してはならない
若松英輔「詩集 美しいとき 『まぼろし』」より
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